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道士はいつからキョンシーと戦うのか――清の怪談から『霊幻道士』まで

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『霊幻道士』(1985、香港の題は『殭屍先生』)に登場する九叔は、道教の儀式や術を行う道士です。香港電影資料館の解説は、この映画でキョンシー(中国語で殭屍。資料によって僵屍とも書く)に対する方法として、お札や桃の木の剣を挙げています12。九叔には弟子が二人いて、一人はキョンシーに傷つけられ、もう一人は女の幽霊に惑わされます3。香港電影資料館の略伝によると、九叔を演じた林正英は、このあとも道士を演じ続け、その姿が人々の心に深く根づいたそうです4。

道士がキョンシーと戦う。あまりにおなじみなので、昔からある形に見えます。けれども資料をたどると、この形は意外に新しいものでした。

この記事の問いと、今の答え

問い: 道士(術者)がキョンシーと向き合い、術で止める・倒す、という形は、どこまでさかのぼれるのでしょうか。

今の答え: 研究所が読んだ香港映画の資料では、キョンシーに襲われる人を善い道士が助ける形は、サモ・ハンが監督・主演した『鬼打鬼』(1980)で現れます56。研究所が読んだ清の怪談 19 話では、道士が前に出て僵屍と戦う話はほとんど見当たりません。頼まれた道士が村人に僵屍への対し方を教える話(「飛僵」)が一つあるくらいです7。1950〜60 年代の香港映画の紹介文では、術者はまやかしや悪人であることが多くありました。ただし『鬼打鬼』の道士は、主人公にキョンシーへの対し方を教える役で、最後は命を落とします。九叔のように弟子を連れ、札と桃の木の剣でキョンシーに立ち向かう道士は、研究所が読んだ資料では、1985 年の『霊幻道士』で現れます。

清の怪談では、道士はあまり戦わない

台湾の研究者の馮藝超(2007)は、清の袁枚の怪談集『子不語』『續子不語』の僵屍の話について、こう書いています。民間では道士に邪を払う力があると広く信じられているのに、僵屍の話には道士の姿がほとんど見えない。僧も同じで、少なからぬ話では、僵屍が抑えられたあとになって弔いのために僧が出てくる、と8。

研究所が、維基文庫の翻刻で僵屍や屍の出る清の怪談を探し、術者が出てくる 19 話を読んだ範囲でも、道士が出てくる話の戦い方は、九叔とはずいぶん違いました。

  • 『子不語』卷十二「飛僵」: 村人が金を集めて町の道士に頼みます。道士は祭壇を設けて儀式を行い、僵屍が飛び去れないよう法で網を張り、僵屍が鈴の音を恐れることを教えます。ただし、そのあとは壇の上にいます。穴で鈴を振るのは村の老人。僵屍と組み合うのも、道士ではなく村人たちでした7。
  • 『子不語』卷九「何翁傾家」: 江西の道士が札を貼り、剣を持って星を踏む歩み(道教の儀式の足取り)をして、家に取りついた霊を小さな瓶に封じます。そのあと長男の嫁の墓を開かせ、顔が生きているような屍を焼かせました。祟りはやみましたが、家の主人の何翁は、そのために家の財産を失ってしまった、と話は結ばれます9。
  • 『子不語』卷七「王將軍妾」: 霊につきまとわれた男は道士に払わせようとしますが、引き止められて間に合わず、道士は出てきません。屍は役人が棺を割かせて焼き、怪は絶えました10。

術者がいちばんはっきり屍と戦うのは、読んだ中では『螢窗異草』(けいそういそう)二編卷二の「屍變」です。ある村では、金持ちが死ぬと、妖しい術の陰陽家(日や方位を占う術者)を高い礼金で招かなければ、禍が起こるとされていました。陰陽家は、今夜屍が起き上がると言って、三百両を求めます11。

代わりに招かれたのは、みすぼらしい身なりの風水師でした。土地や方角のよしあしを占う人です。男は三つの黒い器に、朱砂という赤い顔料で札を書き、はだしで梁(はり)に登って待ちます。起き上がった屍に器を投げるたびに屍は倒れますが、やがて前より荒々しく跳びかかってきました。男が舌を噛み、血と朱砂を口に含んで吹きかけると、屍は倒れ、「恨みもないのになぜ私を殺すのか」と叫んで声が絶えます12。夜が明けると、陰陽家は屍と同じ言葉を叫んで息絶えていました13。

札を書き、段階を踏んで屍と戦い、悪い術者が倒れる。九叔の形にいちばん近い話ですが、読んだ 19 話の中ではこの一話だけでした。

武芸の達人も、僵屍には手を焼きました。『閱微草堂筆記』卷七に登場する医者の胡宮山は、煙管(キセル)一本で盗賊七、八人を倒したほどの腕前でした。それでも、若いころに僵屍を拳で打ったときは、木か石を打ったようだったといいます。危うくつかまれかけた、と語ったそうです14。

術者の側が悪い話もあります。『子不語』卷九「掘塚奇報」で、墓荒らしに呼ばれて呪文で石の外棺を開けた僧を、本文は「妖しい悪党」と書きます。僧は中から伸びた腕に引き込まれて食われました15。19 世紀の『埋憂集』卷六「茅山道士」では、茅山(道教の一派の名)から来たと名のる旅の道士が、術を見せて金を取って去ります。この話に屍は出てきません16。

一方で、術者の言葉が当たる話もあります。『醉茶誌怪』卷二「旱魃」では、塚の屍が日照りを起こす化け物になったと言い当てたのは術者で、墓を開くと緑の毛の物がいました17。

昔の香港映画――術者は偽物か悪人

香港映画にも、早くから屍や化け物は出てきます。1939 年の『萬里行屍』は、夜ふけに歩く屍が女を襲い、最後は人と屍が古い廟で対決して、人が知恵で勝つ話でした。紹介文に道士は出てきません18。同じ 1939 年の『鍾馗捉鬼』で化け物を袋に収めるのは、鬼を捕らえる神の鍾馗です19。

研究所が読んだ 1950〜60 年代の映画の紹介文では、術を使えるふりをしたり、術で悪事を働いたりする人物が続けて登場します20。

  • 『屍變』(1958): 屍を運ぶ一行が村を通った翌日、張天師という術者が「ゆうべ屍が人の気に当たって走り去った。札で身を守れ」と村人に告げます。けれども走り去った屍は生身の人で、張天師は屍の運びを隠れ蓑に密輸をしていた頭でした2122。
  • 『濟公捉妖』(1965): 悪い道士が目くらましの術で娘たちをさらい、僧の濟公がそれを暴いて倒します20。
  • 『冤魂鏡』(1966): 嫁が祟りをもたらす霊だと言って、道士が祭壇を設け、祓いの儀式を始めます。実はその道士も、嫁をさらう企みに加わっていました20。

屍を扱う映画でも、屍は実は生きた人だったり、恨みを晴らす本人の霊だったりして、道士が屍を退治する筋は、読んだ紹介文には見つかりませんでした23。1954 年の『萬里行屍』の配役には「道士」と「術士」の役がありますが、紹介文は、二人が屍に何をするのかを書いていません24未解決の問い。

1970 年代に入ると、善い術者も現れます。1975 年の『降頭』の終盤では、老いた術者と悪い術者が術を競い、悪い術者が負けて死にます。この映画に屍は出てきません25。

1979 年――屍を運ぶ師弟と、屍に化けた男

1979 年の『茅山殭屍拳』では、師匠の陳五(劉家榮)と弟子(汪禹)が、屍を運ぶのを生業にしています26。英語版 Wikipedia の筋の紹介によると、屍を運ぶ道士は茅山の術で屍を動かし、札を持ち歩きます。筋の紹介で拳を振るうのは、陥れられて屍に化けていた男(劉家輝)で、相手は悪党や役人です。屍を運ぶ師弟が殭屍そのものと戦う場面は、筋の紹介には書かれていません27。

香港政府の 2012 年の発表は、この映画が殭屍の言い伝えをカンフーと喜劇に結びつけ、80 年代の殭屍映画に霊感を与えた、と書きます2829。映画の前の題は「神打小子」「茅山小子」だったと、香港電影資料館の口述歴史の本の作品一覧にあります30。

1980 年『鬼打鬼』――キョンシーに襲われる人を、善い道士が助ける

サモ・ハンの『鬼打鬼』(1980)で、キョンシーに襲われる主人公を、善い道士が助けます。

香港政府の映画データベースの紹介文によると、譚老爺という人が茅山の術者・錢開を雇い、主人公を術で殺させようとします。これに反対したのが、錢開と同じ師匠に学んだ弟弟子です。二度にわたって、主人公にキョンシーへの対し方を教えます6。英語版 Wikipedia の筋の紹介では、そのやり方は、棺に鶏の卵を投げ込み、尽きたら犬の血をかける、というものです。のちには二人で、差し向けられた殭屍を倒した、とも書かれています31。

結末は、兄弟子と弟弟子の術比べです。二人は高い祭壇の上で、それぞれ神を呼んで乗り移らせて戦います32。悪い術者は倒れますが、助ける側の道士も深い傷を負い、祭壇から落ちて死にます631。

助ける道士の名は、資料によって「徐真人」とも「許真人」とも書かれ、どちらが正しいかは確かめられていません33未解決の問い。

台湾の研究者の黃猷欽(2020)は、映画に登場する茅山道士の仕事は、師匠から弟子へ、また同じ師匠に学んだ弟子同士の間で伝わる、と書いています。術を本当に使える者もいれば、偽物もいる。善い者もいれば、悪い者もいる。その例として挙げるのが、『鬼打鬼』の兄弟弟子の術比べです34。

サモ・ハンは、この映画を撮るとき、東南アジアの茅山の事情に通じた友人から多くの話を聞き、多くの鬼や怪しいものの言い伝えを取り込んだ、と語っています35。

1981〜1985 年――同じころの映画と、九叔

『鬼打鬼』と同じころ、術者と屍が出てくる映画がいくつも作られました。

  • 『烏龍天師招積鬼』(1981): 悪党が道士に頼んで茅山の術で屍を動かさせ、最後は主人公が高僧から数珠と札をもらって怪物を滅ぼします36。原作の欄には、『鬼打鬼』の脚本に名があり、のちに『殭屍先生』の原案に名を連ねる黃鷹の名があります37。
  • 『凶榜』(1981): 風水見の法師が恨みの霊に負けて死ぬ前に、主人公に札と呪文を授けます。主人公は、殭屍になった同僚から札と呪文で逃れます38。香港電影資料館は、この映画が中国の民間の言い伝えを取り入れた点で、前の年の『鬼打鬼』などと申し合わせずに一致した、と書きます39。
  • 『人嚇人』(1982): 林正英の演じる二叔公が、霊になった男の仇討ちを助けます。死者の使いと戦って主人公の魂を守るのは、主人公を慕う娘の阿雲です40。これが林正英の初めての道士の役だった、と台湾の記事は書きます41。屍と戦う場面は紹介文にありません。

そして 1985 年の『殭屍先生』で、九叔は、任老爺の棺を掘り起こして葬り直す仕事を頼まれた「茅山の師匠」として登場します42。弟子を連れ、お札や桃の木の剣でキョンシーに立ち向かいます123。

監督の劉觀偉は、殭屍の脚本を用意した経緯を語る中で、自分の伯父が茅山の術者で、子どものころに茅山の術の話をたくさん聞いた、と話しています43。映画の道士の装いについては、いまの香港の廟でもよく見られる儀礼の担い手の装いだ、と書く記事もあります44。同じ記事は、映画の茅山道士は、いくつもの身分を組み合わせてできた人物だ、とも書きます45。

黃猷欽によると、1980 年代のキョンシー映画では、キョンシーが生まれる仕組みや倒し方は作品ごとに違います。一方、立ち向かうのが茅山の道士であることや、使う道具は、比較的そろっているそうです。退治の手順も、昔からの民間の習わしとそのまま重なるわけではなく、映画の物語に合わせてつくられた部分が大きい、といいます46。

研究所による整理・解釈

研究所の整理――道士は映画の中で育った

この記事は、清の怪談の本文を書き写した資料(維基文庫)、香港政府の映画データベースの紹介文、香港電影資料館の解説、映画評、英語版 Wikipedia の筋の紹介、配信の紹介文、論文をもとにしています。いずれも研究所が 2026 年 11 月 4 日までに読んだものです。映画の場面は、『鬼打鬼』の本編(終わりの 15 分ほどを除く)を観たほかは、映像を確かめていません。この記事の『鬼打鬼』の筋は、観た内容でなく、資料の記述にもとづいて書いています。

ここからは研究所の見方です。

  1. 研究所が読んだ清の怪談では、道士は主役ではありませんでした。僵屍の話に道士はほとんど出てこず8、出てきても壇の上で指図するか7、霊を封じてから屍を焼かせるかでした9。術者が屍と一対一で戦う「屍變」は、読んだ 19 話の中では一話だけです12。
  2. 1950〜60 年代の香港映画の術者は、疑われる者でした。読んだ紹介文では、まやかしや悪人の術者が続きます2021。1970 年代には、善い術者が術比べで勝つ映画も現れますが、そこに屍は出てきません25。
  3. 『鬼打鬼』(1980)が、善い道士とキョンシーを結びつけました。雇われた術者が術で僵屍を呼び覚まして主人公を追わせ47、善い弟弟子が主人公にキョンシーへの対し方を教えます。最後は術比べで決着します632。黃鷹は『鬼打鬼』の脚本に名があり、のちに『殭屍先生』の原案に名を連ねています37。研究所が読んだ香港映画の資料では、キョンシーに襲われる人を善い道士が助ける形は、ここが始まりです。清の怪談の「飛僵」にも、道士が村人に対し方を教える話がありますが7、それが映画に渡ったことを示す資料は見つかっていません。
  4. 九叔の形は、そこから五年で育ちました。同じころには『凶榜』のように、札と呪文で殭屍から逃れる映画も、申し合わせずに作られていました3839。弟子を連れ、札と桃の木の剣でキョンシーに立ち向かう道士は、研究所が読んだ資料では、1985 年の『殭屍先生』で現れます4212。
  5. ですから、研究所はこの問いに、道士がキョンシーと戦う形は、1980 年代の香港映画の中で育った、と答えます。清の怪談の道士や術比べが映画に受け継がれたことを示す資料は、まだ見つかっていません。作り手たちが語っているのは、茅山という題材を、東南アジアの茅山の話や35、茅山の術者だった伯父の思い出43 から得た、というところまでです。道士の装いは、いまの香港の廟でも見られる儀礼の担い手の装いに通じる、という記事もあります44。

もう一度、九叔へ

『殭屍先生』の九叔は、弟子を連れてキョンシーの前に立ちます。九叔より前にも、壇の上から指図していた清の道士、村人をだました映画の術者、『鬼打鬼』で主人公を助けて祭壇から落ちた弟弟子がいました。ただし、九叔がその姿を受け継いだことを示す資料は、まだ見つかっていません。道士がキョンシーに立ち向かうおなじみの筋は、作り手たちが何本もの映画を作るうちに、五年ほどで形になったものでした。

まだ分からないこと

  • 『鬼打鬼』で主人公を助ける道士の名は「徐真人」か「許真人」か未解決の問い
  • 1954 年の『萬里行屍』で、道士は屍を運ぶ役なのか未解決の問い
  • 劉天賜『僵屍與吸血鬼』(2008)は、清の怪談の僵屍と映画の道士をどうつないでいるか未解決の問い
  • 『殭屍先生』の作り手は、九叔の札や桃の木の剣をどこから取ったと語っているか
  • 『茅山殭屍拳』の本編で、屍を運ぶ師弟は殭屍と戦うのか
  • 1983 年の『天師撞邪』に、殭屍は出てくるのか

次に読む: キョンシー映画の親はだれか/キョンシーはいつから跳ねるのか/茅山の道士と雷の法を読む/趕屍を読む/尸變を読む

出典

  • 袁枚『子不語』卷七「王將軍妾」、卷九「何翁傾家」「掘塚奇報」、卷十二「飛僵」。維基文庫の翻刻
  • 長白浩歌子『螢窗異草』二編卷二「屍變」。紀昀『閱微草堂筆記』卷七。李慶辰『醉茶誌怪』卷二「旱魃」。朱翊清『埋憂集』卷六「茅山道士」。維基文庫の翻刻
  • 馮藝超「《子不語》正、續二書中僵屍故事初探」『東華漢學』第 6 期(2007)
  • 黃猷欽「陰陽顛倒物應猜─1980年代香港殭屍電影美術設計中的道具研究」『南藝學報』第 21 期(2020)
  • 香港政府 Hong Kong Film Search の作品ごとの詳細レコード(『萬里行屍』1939・1954、『鍾馗捉鬼』『屍變』『濟公捉妖』『冤魂鏡』『降頭』『茅山殭屍拳』『鬼打鬼』『烏龍天師招積鬼』『凶榜』『人嚇人』ほか)。香港政府新聞公報(2012 年 10 月 30 日)
  • 香港電影資料館の上映プログラム解説(『鬼打鬼』2026、『殭屍先生』、『凶榜』2017)、林正英の略伝、口述歴史の本の作品一覧、洪金寶の口述(『風起潮湧—七十年代香港電影』2018)
  • 英語版 Wikipedia「Encounters of the Spooky Kind」「The Spiritual Boxer Part II」。Kung Fu Kingdom の評(2015)
  • Apple TV 香港『殭屍先生』作品頁。劉觀偉の回想(搜狐娛樂、2008)。李若冲の記事(澎湃新聞、2015)。NOWnews(2024)

注(出典と、原文の該当箇所)

各注の頭の色の付いた印は、その記述が「資料の記述」「作品内の設定」「研究所の整理」のどれにあたるかを示します。原文との照らし合わせがどこまで済んだかは、印の無い注ではどれも「AI が読んだ段階」です。それと違う段階の注にだけ、その段階を示す印を付けています。

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  9. 資料の記述
    • 子不語 卷9 卷九「何翁傾家」第四段(江西の道士が来る段)
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