研究所の創作 短編集
六枚目の札
清の末 / 湖南の川べりの町から、貴州の山へ上る街道
つながる話 草鞋の数(死者は一晩に草鞋を一足はきつぶす)・一筆(旅先の土に注げば沈むだけ、の同じ迷い)この世界の基本 額の札・碗の符水・死者と屍・送る二人・育つ・香
本文の ◦ の印には、この世界の基本の短い説明が付いています。小さな番号は欄外解説で、その場面の決まりの細部や、ほかの話とのつながりを説明します。画面が狭いときは、印や番号を押すと開きます。この世界の基本
清の末のことでございます。湖南の川べりの町から、貴州の山へ上ってゆく街道に、胡四(こし)という葬送師この世界では死者を送るのは二人組。前を歩く葬送師は、鈴で死者を呼び、碗の符水で眠らせ、墨斗で屍を止める線を打つ。後ろを歩く道士は、札で死者を結び、屍を封じ、雷で弱らせる。基本 → 送る二人がおりました。鈴を振って死者の列の前を歩き、碗(わん)の符水(ふすい)を一滴もこぼさずに運ぶ1こぼさずに運べるかどうかは、峠の下りで分かります。腕の立つ葬送師の碗は、宿に着いて改めても、水が縁から指一本の所で止まっている。胡四の碗は、街道でもそう評判でした。基本 → 碗の符水同じ場面 → 半拍の鼓この世界では符水は、符を焼いた灰を井戸の水に溶いた水。生まれた土地の土に注ぐと術が解け、死者は倒れて眠る。碗を土に置くと符水が土へ通い、よその土では術が半端に解けるので、碗は土に置かない。基本 → 碗の符水腕は、確かなものでございました。ただ、その腕と同じくらい確かに、銭(ぜに)の勘定をする男でございました。
その年の夏、町では筏(いかだ)で木を下ろしてきた山の男2貴州の山の杉は、筏に組んで川を下ろします。筏乗りは下りの町で筏を解いて売り、ひと月かけて歩いて山へ戻る。夏の川べりの町は、山の者には熱の出やすい土地でした。が五人、熱病で続けて死にました。帰れない死者は、その土地に残って育つこの世界では生まれた土地の土に葬られなかった死者は、年とともに魂が抜け、体に残る魄が強くなって「育つ」。跳ぶだけの体が走り、低く滑り、やがて宙に浮くまでになる。生まれた土でなければ眠らない。基本 → 育つと申します。町の有志は気味を悪がり3有志の寄せは、廟の帳場に一冊の帳面を置き、出した者の名と額を書いてゆきます。送り出したあと、その頁は廟の壁に貼り出される。名が並ぶことが、旦那衆が銭を出す理由の半分でした。、銭を出し合って、五人を山の村へ送ることにいたしました。胡四は義荘(ぎそう)の薄暗い土間で棺を数え4義荘(旅の死者を預かる町はずれの小屋)の帳面には、預かる死者が一人一行、名で書いてあります。棺を数えずとも、帳面を開けば人数は分かる。有志の旦那衆が覗きこむのを好まないのは、死人の顔と、この帳面です。基本 → 義荘と土地の神同じ場面 → 鶴の胸、しばらく指を折っておりましたが、やがて、
「六人でございますな」
と申しました。奥の隅の、名も知れぬ一人も、ついでに連れて行ってやろうと言うのでございます。そこには古い空(から)の棺があるばかりでしたが、義荘の中は暗く、有志の旦那衆は死人の顔を覗(のぞ)きこむのを好みません。旦那衆は胡四の情けに感じ入り、一人ぶんの送り賃を上乗せ5送り賃は死者一人ずつ立てます。宿の死者の代と香と草鞋は人数で割らず、一人の欄に書く。一人増えれば、十晩の道なら香だけで三十本、百二十文がそのまま増えます。同じ場面 → 草鞋の数して払いました。胡四は礼を言いながら、その重さを袖の中で量っておりました。
相棒の道士は、耳の遠い年寄りでございます。六人と聞いたので、黄色い札を六枚書きました6札は一枚百文。道士は書いた数で取り、書き損じも一枚に数えます。余った札の始末は道士の役目で、自分の手で焼く。胡四の懐に入った一枚は、その始末を外れた札でした。基本 → 額の札この世界では額の札は、薄れてゆく魂を体に結びとめ、死者が鈴に応えられるようにする紙の札。道士が黄色い竹紙に朱で書き、宛て先にその死者の名(知らなければ郷)を書く。効きは一年。基本 → 額の札。札の代も、六枚ぶん取りました。胡四は舌打ちをいたしましたが、今さら五人とも言えません。
出立の晩、五人の死者の額(ひたい)に札が結ばれ、両足が麻の紐で揃えられました7習わしの理由両足を揃えて結ぶのは、歩かせないで跳ばせるためです。足が一つに結ばれていれば、死者は跳ぶほかない。硬さのほどけた足が走りだすのを、結びが押しとどめます。結びは道中では解きません。基本 → 育つ同じ場面 → 一筆。余った一枚は、胡四の懐(ふところ)に入りました。
町を出て一里ほどの、竹藪(たけやぶ)の脇でございます。胡四は懐の札を取り出し、しばらく眺めてから、丸めて草むらへ放りました8宛て先(どの死者のために書いたか)の無い札は、誰にでも結びつく紙です。道に捨てれば、道ばたの帰れなかった死者が拾う。拾った死者は、札を書いた一行の拍について来ます。街道で札を捨ててはならないのは、そのためです。同じ場面 → 一本の線香。持っていれば、誰かに数を問われたとき面倒でございます。銭はもう袖の中にある。紙一枚、惜しむほどのものではない。そう思ったのでございましょう。
鈴を振って歩き出し、次の辻(つじ)で振り返りますと9前を歩く葬送師は、辻に来るたびに、鈴を止めずに振り返って列の数を目で数えます。前の者が列を見られるのは、この一瞬だけ。数え違いを防ぐため、数は声に出さず、指を折ります。、列は六人になっておりました。
いちばん後ろに、白い衣の男が一人、両足を揃えて立っておりました。額には、皺(しわ)を伸ばした黄色い札が一枚。上頭服(じょうとうふく)10上頭服は、婚礼の前夜に髪を結い上げる儀で着る白い木綿の衣です。夫婦で一着ずつ作り、長持の底にしまっておく。死装束にするときは、縫い目を解いて返し縫いの無い縫い方に直します。同じ場面 → 鶴の胸と申して、婚礼の前の晩に着る白い衣でございます。貧しい者は、これをそのまま死装束(しにしょうぞく)にいたします。先に逝った者を、連れ合いがいつか見分けられるように、と。その日のうちに、草むらの奥で行き倒れた者であったのでしょう。

胡四は、しばらく口がきけませんでした。列の後ろを歩く道士に、
「一人多い」
と申しますと、道士は耳に手を当て、
「六と言うたのは、おぬしじゃ」
とだけ答えました。
それからが、胡四の難儀の始まりでございます。
まず、足を速めてみました。鈴の拍を少しずつ詰め、夜の山道を急ぎます。五人の死者は拍に合わせて跳ね、六人目も跳ねました。六人目の揺らぎは五人の誰よりも大きく11揺らぎ(鈴に応えて自分で跳ぶ死者の、着地のわずかなずれ)が五人の誰より大きかったのは、その日に死んだばかりだったからです。遅れまいとして高く跳ぶのは、生きていたころの急ぎ癖が、まだ足に残っているしるしでした。同じ場面 → 伽羅の箱・半拍の鼓、それでいて、一度も列を乱しませんでした。遅れまいとして、ほんの少し高く跳ぶのでございます。
次に、宿で香を一本減らしました12六人の一行なら、宵に六本を並べて立て、夜半と明け方にも六本ずつ継ぎます。一本抜けば、一夜に浮くのは三本、十二文。胡四の帳面の上では、十日で百二十文の得でした。基本 → 香同じ場面 → 一筆この世界では死者は飯を食べず、香の煙を糧にする。煙は魂の残る死者の方へ折れて吸われ、吸う者がいなければまっすぐ昇る。香が絶えると、魂が早く薄れる。基本 → 香。胡四は宵の香を五本だけ立て、六人目の前には何も置きませんでした。六人目は戸の脇に立ったまま、隣の死者の方へ折れてゆく煙を、欲しがるふうもなく、ただ見ておりました。
夜が明けるころ、胡四の鼻が、かすかな匂いをとらえました13五本の香の煙がこもる土間で、香を抜かれた一人の匂いを嗅ぎ分けるのは、年季の要る鼻です。胡四は宿に入ると、戸口に立たせた列の端から端まで、一度だけ歩いて嗅ぐ。その一往復が、この男の朝の最初の仕事でした。基本 → 水と匂い同じ場面 → 一筆。それは、術が緩みかけている兆しでございました。育った死者が列に一人出れば、道士の雷の代、封の代、棺の代、担ぐ人夫の代14封の一夜が二貫、封じた棺を担ぐ四人が一日八百文、雷を使えば一度に一貫が乗ります。香は一本四文。胡四の算盤は、正しく鳴っていました。この決まりの要 → 封の家――胡四の頭の中で、算盤(そろばん)がけたたましく鳴りました。彼は黙って、六本目の香に火をつけました。けちが、この男を親切にしたのでございます。
草鞋(わらじ)も同じでございました。六人目は裸足で15草鞋を履かない死者は、足の裏の皮でじかに道を打ちます。石の道では濡れた平手のような音がして、三晩もすれば踵から裂ける。葬送師が裸足の死者に真っ先に草鞋を買うのは、情けより拍のためです。同じ場面 → 草鞋の数、石の道を打つ足の裏が、濡れた平手のように鳴っておりました。足の裏が裂ければ跳び方が崩れます。一人が崩れれば、同じ拍につながる五人の足並みまで乱れます。胡四は峠の茶屋で、いちばん安い草鞋を一足買いました16街道の茶屋の軒には、送る一行のための草鞋が吊してあります。茶屋に置くのは一重底ばかりで、二重底は宿場の草鞋屋にしか無い。茶屋の草鞋は、一行が来る季節の前に、茶屋の婆さんが冬のうちに編んでおくものです。。安い草鞋は夜半にちぎれましたので、次の晩には、もう少し良いのを買いました。
胡四は毎朝、帳面をつけました17旅の帳面は、宿に入って死者を立たせ、香を立てたあとにつけます。人数の欄、香の欄、草鞋の欄。胡四の帳面には、そのほかに、ほかの葬送師の帳面に無い「差し引き」の欄がありました。。六人目の送り賃から、香の代、草鞋の代、宿の戸口に立たせておく代を引いてゆきます。袖の中の銭は、一晩ごとに軽くなりました。
十日のあいだに、五人はそれぞれの村へ帰りました。どの家も、前の晩に死者の夢を見た18五つの家がみな前の晩に夢を見たのは、列が街道を外れず、夢が村ごとに着く前の一晩を選んだからです。夢は着く前の一晩だけ来る。三晩続けて見た家は、この先に一軒だけあります。同じ場面 → 草鞋の数記録 → 趕屍の記録を読むと申して、棺と死装束を整えて待っておりました。胡四は家ごとに碗を傾けて符水を故郷の土へ注ぎ、一人が倒れると鈴を三度振って、残りの拍を整えました19一人を解いたあとの整えは、鈴を三度、短く続けて打ちます。間を長く取る呼び寄せの三度とは、音の間で分ける。五人を十日で解いたので、胡四はこの三度を五回打ったことになります。基本 → 鈴と拍同じ場面 → 半拍の鼓。
最後の村を出たとき、列には白い衣が一人、残っておりました。
胡四は、そこらの土に水を注いでしまおうかと思いました。けれども後ろで、道士が首を振ります。旅先の土に注げば20道ばたに据わった死者は、見つけた村が墨で囲って番をします。村は、その死者を置いていった一行の鈴の音と葬送師の顔を、次に街道を通るときまで覚えている。同じ街道を二度と歩けなくなるのは、そのためです。同じ場面 → 一筆、魂の残る死者は倒れずこの世界では死んだ人には、心にあたる魂(こん)と、体に残る魄(はく)がある。魂が残るうちは「死者」で、鈴で呼べば応えて歩く。魂が抜けて魄だけになると「屍」で、人を襲う。基本 → 死者と屍、重く沈むばかりで、眠りはいたしません。そうなれば、この道ばたに、足の据わった白い死者が一人、いつまでも立っていることになります。村の者は、それを置いていった葬送師の顔を、決して忘れはしないでしょう。
「どこの者じゃ」
と胡四が尋ねても、死者はものを言いません。ただ、その朝、鈴を止めて宿の戸口に立たせますと、六人目の体は、ひとりでに東の山の方へ向きました21向きを見るのは、鈴を止めて宿の戸口に立たせた朝です。一度きりでは風や坂のせいかもしれないので、葬送師は三朝続けて同じ方を向くのを待ってから、街道を外れます。同じ場面 → 一本の線香。次の朝も、また次の朝も、同じ方へ向いておりました。
胡四は、その向きについて歩きました。三晩、街道を外れて山を越えました22街道を外れた山道には、宿も義荘もありません。昼は炭焼きの小屋や山の祠の軒を借りて死者を立たせ、葬送師は墨斗(糸に墨を含ませて弾き、線を打つ道具)の糸を弾いて、小屋のまわりに線を打ちます。。袖の銭は、とうとう底をつきました。
四晩目の明け方、谷あいの小さな村に着きますと、一軒の戸口に、白い衣を着た年寄りの女が立っておりました。死者と同じ、上頭服でございます。女は、夫が六番目に並んで帰ってくる夢を三晩つづけて見たと申して、粗末な棺を土間に置いておりました。
胡四は碗を傾け、戸口の土へ符水を注ぎました。白い衣の男は、ゆっくりと後ろへ倒れました。女は、夫の名を一つ呼んで、額の札をそっと外しました23習わしの理由額の札を外す前に名を呼ぶのは、札が受け持っていた宛て先を、家の者の声で引き取るためです。札は薄れゆく魂の代わりに死者と鈴を結ぶ紙で、外せば結びは切れる。名を呼んでから外せば、死者は鈴に呼ばれた客でなく、家の者に呼ばれた者として眠りにつきます。呼ぶ名は一つでよく、姓は要りません。基本 → 額の札。丸めた皺の跡が、まだ消えずに残る札でございました。
納棺がすむと、女は布に包んだ銭を差し出しました。何年もかけて貯めたものらしく、どれも手垢(てあか)で黒ずんで24山の村の女の貯えは、機織りや茶摘みの手間賃を、一枚ずつ布に包み足したものです。銭を緡(さし)に通さないのは、数えるたびに手に取るからで、そのぶん手垢で黒くなります。おりました。胡四は、いつもの癖で、その包みの重さを手のひらで量りました。それから一枚だけつまみ上げ、
「草鞋一足ぶん25送る草鞋は二重底で一足百文、一重底でも六十文します。一文銭一枚で買える草鞋は、街道のどこにもありません。胡四の勘定が合わなかったのは、生涯でこの一度きりです。同じ場面 → 草鞋の数。ゆうべ、ご亭主がはきつぶしたぶんで」
と申して、残りを女の手に返したのでございます。
帰り道、胡四は帳面を開きました。「六人目」と書いただけの欄は、名が空いたままになっております26女から聞いた名は、帳面の元の字と重ならないよう、行の端に小さく書き入れます。「六人目」の三字は消さずに残す。帳面を改める者は、消した跡より、書き足した跡の方を信用します。同じ場面 → 鶴の胸。彼はそこに、女から聞いた名を、小さな字で書き入れました。袖の中では、一枚きりの銭が、歩くたびにかすかに鳴っておりました。
この話は、研究所の設定をもとにした創作で、史実ではありません(短編集について)。