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研究所の創作 短編集

半拍の鼓

清の末 / 湖南、沅水のほとりの宿場町

同じ川 一本の線香(民国の初め、沅水の川港の町)・碗の跡(沅水へ注ぐ支流のほとりの町)この世界の基本 鈴と拍・死者と屍・送る二人・額の札・碗の符水

本文の ◦ の印には、この世界の基本の短い説明が付いています。小さな番号は欄外解説で、その場面の決まりの細部や、ほかの話とのつながりを説明します。画面が狭いときは、印や番号を押すと開きます。この世界の基本

清の世も末のころ、湖南の沅水(げんすい)のほとりに、船着き場と宿屋ばかりの小さな宿場町1沅水の宿場は、川を上り下りする船が夜を明かす所で、船着き場の石段の上に宿が並びます。送る一行は陸の道を来て、この町で川の道と交わる。死者に土間を貸す宿が多いのは、そのためです。がございました。

ある秋の夕方、そこへ旅回りの花鼓戯(かこぎ)の一座2花鼓戯は、湖南の農閑期の村や宿場を回る小さな芝居で、男女の掛け合いに、踊るような足さばきが付きます。足が拍に合わなければ見られたものではないので、座頭は何より足を叱ります。が着きました。一座と申しましても、役者が四人、胡弓弾きが一人、それに板鼓(ばんこ)を打つ親方3花鼓戯の一座では、板鼓を打つ者が座頭を兼ね、役者の出入りも台詞の間も板鼓で決めます。硬い木の胴に牛皮を張った小さな鼓で、乾いた高い音が小屋の外まで通ります。が一人の、ごく小さなものでございます。

親方は六十を過ぎた、口の曲がった男で、拍子にかけては天下のだれより厳しいのが自慢でございました。舞台で役者の足が半拍でも遅れますと、芝居の最中でも撥(ばち)で鼓の縁をかちりと鳴らし4板鼓の撥は細い竹の一本で、皮でなく縁を打つ「かちり」は、舞台の上の者にだけ分かる叱りの合図です。客の耳には、拍子の一つにしか聞こえません。、幕が引けてから一刻(いっとき)も叱ります。一座の者は陰で、親方の撥は人の足を数えるためにある、と申しておりました。

その晩、同じ宿の裏の土間5街道の宿が死者に土間を貸す代は、死者一人一夜二十文です。部屋を使わず、飯も食べず、夜のうちに発つ。宿の亭主にとって、これほど手のかからない客はいません。同じ場面 → 鶴の胸には、送られてゆく死者の一行が泊まっておりました。前を歩く葬送師この世界では死者を送るのは二人組。前を歩く葬送師は、鈴で死者を呼び、碗の符水で眠らせ、墨斗で屍を止める線を打つ。後ろを歩く道士は、札で死者を結び、屍を封じ、雷で弱らせる。基本 → 送る二人(そうそうし)と、後ろを歩く道士の二人に、死者が四人。死者は戸の脇に一列に立たされ、額(ひたい)の札この世界では額の札は、薄れてゆく魂を体に結びとめ、死者が鈴に応えられるようにする紙の札。道士が黄色い竹紙に朱で書き、宛て先にその死者の名(知らなければ郷)を書く。効きは一年。基本 → 額の札を夜風にかすかに揺らしております。二番目の一人だけが官服を着た塩商人6沅水の塩は、四川の塩井から船と担ぎで運ばれてきます。その道で財を成した塩商人は、自分の代で送られる死者なので官服を着る。同じ一行に、同じ塩の道を担いだ人夫が並ぶのは、珍しくありません。基本 → 銭同じ場面 → 伽羅の箱で、あとの三人は白い死装束に、名を書いた細い旗を背に差して7四人のうち官服の塩商人だけが旗を差していないのは、官服が「自分で送る代を払える者」の印になるからです。名前は、泊まる夜に名を書いた白い布(魂帛)を前に置いて示します。白い死装束の三人は、名と郷を書いた紅い旗(銘旌)を背に差し、泊まる夜は抜いて、それぞれの前に立てます。同じ場面 → 鶴の胸記録 → 旅の死者を故郷へ帰すおりました。

夜も更けて、一行の発(た)つ刻限8習わしの理由送る一行は、町の人が寝静まる亥の刻に発ち、夜明け前の寅の刻には次の宿に入ります。生きた人の陽気(体の温み・気配)の引いた刻だけを歩くためです。宿の亭主は、一行の発つ刻を聞いて戸の閂を外しておきます。基本 → 息と足の裏この決まりの要 → 鶴の胸になりました。

葬送師が鈴この世界では葬送師が鈴を鳴らすと、魂の残る死者は呼びかけに応えて自分で跳ぶ。鈴と足音が刻むリズムが「拍」。足音で鈴に応えるのが「返り」で、返りが夜ごとに遅れてゆけば、魄が強まった印。基本 → 鈴と拍をちりんと振りますと、四人の死者は揃って跳ねた――と申したいところでございますが、揃いましたのは三人きりで、三番目の一人だけが9葬送師の帳面には、死者ごとに返りの欄があります。阿順の欄には、出立の晩から「遅れ、変わらず」の同じ字が並んでいました。幅が夜ごとに増えなければ、遅れはその人の癖として読みます。同じ場面 → 伽羅の箱・一本の線香、いつも半拍遅れて跳ねるのでございます。遅れて下りたはずみに前の塩商人の背へごつんと額をぶつけ10送る列は、前の者との間を一跳びぶん、二尺空けて並べます。半拍遅れて下りると、ちょうど前の者の背に額が届く。官服の死者の帽子を直すのは道士の役目で、謝礼の内訳には入っていません。、塩商人の帽子が傾きます11清の官帽は、春の終わりから夏は籐を編んだ涼帽、秋から冬は縁を折り返した暖帽に替えます。死者には、死んだ季節の帽子を被せたまま送る。秋に死んだ塩商人の帽子は縁の厚い暖帽で、重いぶん傾きやすいものでした。。道士があわてて直します。また鈴が鳴ります。また遅れます。また、ごつん。

二階の窓からこれを見ていた親方は、思わず撥で窓枠を打ちました。

二階の窓から親方が撥で窓枠を打つ。下では三番目の阿順が半拍遅れ、前の塩商人の背へ額をぶつけ、道士が傾いた官帽へ手を伸ばす。
宿の二階から親方が撥で窓枠を打つ。半拍遅れた阿順が、前の塩商人の背へ額をぶつける(想像図)

「遅い。」

葬送師は上を見上げて、困った顔をいたしました。

聞けばその三番目は、塩の道を担いで歩いた人夫で、名を阿順(あじゅん)と申します。仲間の人夫たちが銭を出し合い12塩の道の担ぎ人夫は、塩井から川の船着きまで、一人で百斤を背負います。組は同じ村の出で固まり、死んだ仲間の送りも組でまとめる。山を三つ越えた村なら三晩の道で、湘西の相場ではおよそ三貫です。同じ場面 → 一筆、山を三つ越えた村の母親のもとへ送ってやるところでございました。

「この男は、生きているうちから揃わなかったそうで」と葬送師は申しました。「村の祭りの踊りでも一人だけ遅れ、兵に取られたときも行進が合わずに三日で帰された13清の末には、洋式に習った新しい兵が各地で集められ、村の若い者も取られました。兵営では何より先に足並みを揃える行進を教える。三日で帰されるのは、よほどのことです。。名ばかり順(したが)うで、何ひとつ順わなかったと、仲間が笑っておりました。」

道士は後ろで渋い顔をして、懐から一枚の札を出しました。

「押さえの札を重ねれば揃う14押さえの札は、額の札の上へ、結ばずに貼る札です。裏に糊が引いてあり、湿して貼るので、揺さぶり一つで外れる。魂の残る死者に貼れば揺らぎは消えますが、鈴への応えも押し潰され、応えを失った魂は、そのぶん早く薄れます。基本 → 額の札この決まりの要 → 揃いすぎる列。」

押さえの札と申しますのは、魂の抜けた屍この世界では死んだ人には、心にあたる魂(こん)と、体に残る魄(はく)がある。魂が残るうちは「死者」で、鈴で呼べば応えて歩く。魂が抜けて魄だけになると「屍」で、人を襲う。基本 → 死者と屍(しかばね)でも上から押さえつけて跳ばせる札でございます。けれども葬送師は首を振り、阿順の襟もとに鼻を寄せて15阿順の襟から来たのは、塩の道の汗の匂いだけでした。塩を担ぐ人夫の襟は、汗が乾くと白く粉を吹き、洗っても塩気と汗の匂いが抜けません。基本 → 水と匂い同じ場面 → 伽羅の箱、しばらく嗅いでおりました。

「匂いがせぬ。魄(はく)が強まって遅れているのではない。これはこの男の、生まれつきの遅れだ。魂の残っているものを、魂の無いもののように押さえるのは、気が進まぬ。」

そこへ親方が、撥を手に、口をいっそう曲げて階段を下りてまいりました。

「札で揃えるなど、素人のすることだ。わしは四十年、どんな下手な役者の足も揃えてきた。死人の足くらい、この撥で揃えてみせる。」

あとから下りてきた一座の者たちは顔を見合わせました。明後日(あさって)から、隣の町で十日の興行16旅回りの小さな一座は、町の廟の祭りに合わせて十日ほど小屋を掛けます。座頭が抜ければ、鼓を打つ者がいない。一座の者が顔を見合わせたのは、十日ぶんの木戸銭のことでした。がございます。親方は振り向きもせず、

「すぐ戻る。鼓は小六(しょうろく)に打たせておけ」

と言い捨てました。小六は一座でいちばん若い役者で、親方にいちばん叱られている男でございました。

 *

こうして、送られる死者の一行に、鼓を抱えた芸人がひとり加わったのでございます。

最初の晩は、ひどいものでございました。親方がいつもの調子で板鼓を高く鳴らしますと、道沿いの家という家の犬が吠え立て17板鼓の乾いた高い音は、一里先の村まで通ります。鈴を聞けば犬をしまう家も、聞き慣れない鼓の音では何の合図か分からず、犬は小屋の中からでも吠え立てました。この決まりの要 → 揃わない列記録 → 旅の死者を故郷へ帰すて鈴の拍をかき消し、四人の死者はてんでに跳ねて、塩商人の帽子は溝へ落ちました。葬送師に叱られ、道士に睨まれ、親方は生まれてはじめて、人から拍子のことで小言を言われたのでございます。

二晩目、親方は鼓の皮に掌(てのひら)をあてて音を殺し18死者は拍を耳だけで受けません。高い音は拍の頭を告げ、地を伝う低い音は足の着く底を知らせる。昔の一行が鈴と小さな銅鑼を分けて持ったのは、そのためです。基本 → 鈴と拍記録 → 旅の死者を故郷へ帰す、打ってみました。鳴るというより、地の下から来るような、低い、鈍い音でございます。それを鈴のちりんに少しも違わず重ね、しかも阿順が足を下ろすその刹那(せつな)にだけ、ずん、と置いてやる。鈴が拍の頭を告げ、鼓が拍の底を支える、とでも申しましょうか。

すると、阿順がぴたりと揃ったのでございます。

四人の死者は、月のない山道を、一つの影のように跳ねてまいります。ごつんという音も、もういたしません。道士は目を丸くし、葬送師は黙って鈴を振りつづけました。昼、宿の隅で眠るときも、親方は撥を放しませんでした。一晩じゅう皮を押さえていた掌は赤く、指がなかなか伸びませんでした。死者と足を向け合って寝るなと葬送師にきつく言われておりましたので、海老のように丸まって眠った19習わしの理由死者に足を向けて寝てはならないのは、足の裏が、息の次に陽気の漏れる所だからです。魂の残る死者は人を襲いませんが、足の裏を向けられた列は、昼のうちに拍が乱れる。土間に残る付き添いは、死者の立つ戸の脇へ頭を向けて横になります。宿の隅の狭い所では、それもできませんでした。基本 → 息と足の裏同じ場面 → 一本の線香そうでございます。

三晩目の明け方近く、一行は阿順の村の入り口に着きました。坂の上の一軒に、ぽつんと灯りがついております20夜更けの山の村で灯を点けているのは、迎えを待つ家か、産や病のある家です。迎えの家は戸口の外に提灯を一つ吊し、一行はそれを目当てに坂を上ります。同じ場面 → 六枚目の札記録 → 趕屍の記録を読む。

そのときでございます。親方は、撥を止めました。

わけは本人にも分からなかったと申します。ただ坂の上の灯りを見たとたん、打つ手が動かなくなったのだそうでございます。

底の音が消えますと、阿順はたちまち、もとの遅れに戻りました。ちりん、とん……とん。ちりん、とん……とん。

坂の上の戸が開いて、小さな老婆が飛び出してまいりました。まだ暗く、顔も旗の名も見えるはずのない遠さでございます。それでも老婆は、

「ああ、順だ。あの跳ね方は、順だ21揺らぎの癖は、生きていたころの歩き癖です。家の者は、顔や旗の名より先に、跳ね方で自分の死者を見分ける。札で揃えた列の中からは、誰も見分けられません。同じ場面 → 六枚目の札・伽羅の箱」

と叫んで、転ぶように坂を下りてまいりました。

葬送師が家の前の土に碗(わん)の水を注ぎますと22符水は死者の足もとの土へ、細く一筋注ぎます。一人に碗の一杯を使い切らなくてよいので、四人の一行の碗は、阿順のあとも三人ぶんの水を十分に残していました。同じ場面 → 六枚目の札この世界では符水は、符を焼いた灰を井戸の水に溶いた水。生まれた土地の土に注ぐと術が解け、死者は倒れて眠る。碗を土に置くと符水が土へ通い、よその土では術が半端に解けるので、碗は土に置かない。基本 → 碗の符水、阿順は故郷の土の上に、静かに倒れました。老婆は息子の頭を膝に抱いて、祭りのたびにおまえは一人だけ遅れて、と泣きながら笑っておりました。そうしてしばらくして、用意の棺に、自分の手で納めたのでございます。

一人が抜けて、残りの三人の拍が揺らぎはじめました23一人を解いたあとの立て直しは、ふつうは葬送師の鈴の役です。鼓で立て直した一行は、葬送師の帳面にも、道士の覚えにも、ほかに一つもありません。同じ場面 → 六枚目の札。葬送師が鈴を振り直すより早く、親方の掌がもう一度、鼓の皮に落ちました。ずん、ずん、ずん。三人の死者はその底の上で、何事もなかったように立ち直りました。

 *

親方が宿場町へ戻りましたのは、それから幾日も後のことでございました。

隣の町の興行は、とうに始まっておりました。小屋をのぞきますと24旅回りの小屋は、竹の柱に筵を張った掛け小屋で、興行が済めば半日で畳めます。舞台の裏に筵一枚で仕切った楽屋があり、板鼓はその仕切りの際に座って打ちます。、小六が汗みずくで板鼓を打っております。案の定、ところどころで遅れます。役者はつまずき、そのたびに客がどっと笑い、笑った客が明くる日また木戸銭25旅回りの一座の木戸銭は、一人十文ほどです。笑った客が明くる日も来れば、小屋の入りは倍になる。一座の帳面では、遅れた半拍が、この秋いちばんの稼ぎ手でした。を払って入ってくる。この秋いちばんの入りだと、胡弓弾きが呆れ顔で申しました。

親方は撥を握ったまま、小屋の後ろにしばらく立っておりました。やがて何も言わずに楽屋へ回り、小六の隣に腰を下ろしますと、その遅れた半拍の下に、そっと、低い音を一つ置いてやったのでございます。

その後、この一座の芝居には妙な癖が一つ残ったと申します。ある幕の終わりで、どういうわけか板鼓が必ず半拍だけ遅れて鳴るのでございます。わけを聞かれますと、親方は口を曲げたまま、

「あれは、遅れて来る者を待つ拍だ」

とだけ答えたそうでございます。

この話は、研究所の設定をもとにした創作で、史実ではありません(短編集について)。