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研究所の創作 短編集

碗の跡

1940 年代の終わり / 湘西

同じ人 鈴の箱(十の秋の水生が峠の下ですれ違う、四人を連れた龍老人)・土地廟のない村(石保と母のその後。村の入口の桐の下)・封の棺(龍老人の家の三軒となり。北の丘)この世界の基本 碗の符水・死者と屍・水と匂い・送る二人・鈴と拍・香

本文の ◦ の印には、この世界の基本の短い説明が付いています。小さな番号は欄外解説で、その場面の決まりの細部や、ほかの話とのつながりを説明します。画面が狭いときは、印や番号を押すと開きます。この世界の基本

町の役所の旗が替わった秋のことでございます。沅水(げんすい)へ注ぐ支流のほとりのその町では、朝に米一升を買えた紙の銭1紙の銭の値が一日で動く年は、送る代を銀貨か、米や塩の目方で決めます。その年の葬送師の帳面には、銭の欄の隣に、斤の欄が立ちました。同じ場面 → 封の棺が、夕方には半升にしかなりませんでした。人は紙の銭を受け取るとすぐに塩か油に換え、換えそこねた銭は、竈(かまど)の焚きつけになったと申します。

その町の坂の上に、龍(りゅう)老人という葬送師この世界では死者を送るのは二人組。前を歩く葬送師は、鈴で死者を呼び、碗の符水で眠らせ、墨斗で屍を止める線を打つ。後ろを歩く道士は、札で死者を結び、屍を封じ、雷で弱らせる。基本 → 送る二人(そうそうし)が一人で住んでおりました。年は七十を越えております。十四で師について鈴を習い2見習いの五年は、はじめの二年が帳面と草鞋、次の二年で墨斗を覚え、五年目に鈴。十四で師についた者が、はじめて列の前を歩くのは十九の年です。同じ場面 → 鈴の箱・杖の間この世界では葬送師が鈴を鳴らすと、魂の残る死者は呼びかけに応えて自分で跳ぶ。鈴と足音が刻むリズムが「拍」。足音で鈴に応えるのが「返り」で、返りが夜ごとに遅れてゆけば、魄が強まった印。基本 → 鈴と拍、それから五十幾年、死者を連れて峠を越えてまいりました。組んでいた楊(よう)道士は、おととしの冬に亡くなりました3楊道士は、五十幾年のあいだ、いつも列のしんがりを歩きました。道士が後ろにいれば、葬送師は前の碗と鈴だけを見て歩けます。一人で送る夜は、前の水面と後ろの足音を、同じ目と耳で見なければなりません。同じ場面 → 匂いの関。弟子はおりません。若い者は兵に取られるか、下流の町の工場へ出てしまい、夜の山道で鈴を振る仕事を習いたいという者は、もう一人も来なかったのでございます。

楊道士の書いた札は、老人の家の棚の箱に、まだ十枚ほど残っておりました。けれども朱の字は褪せて、茶の出がらしのような色4札の朱は、湿りと光を吸って紙ごと褪せ、茶色くなると効きが落ちたしるしです。余った札は捨てずに道士が自分の手で焼く決まりで、書いた道士が先に死ねば、焼く手も無い。札は箱に残ります。同じ場面 → 六枚目の札・封の棺になっておりました。老人はそれを捨てもせず、箱の蓋を開けることも、あまりございませんでした。

旗が替わってひと月ほどしたころ、役所の若い書記が坂を上ってまいりました。書記は帽子を取り、ていねいに頭を下げてから、一枚の紙を読みました。死者を夜に歩かせることは、人を惑わす古い習いであるから、今月の末をもって禁ずる。客死した者は、町の北の丘に新しく拓いた墓地へ、三日のうちに葬ること。棺を郷里へ送りたい者は、役所に届けて車を頼むこと。

「おじいさんを咎めに来たのではありません」と書記は申しました。「新しい世の中では、死んだ人も、生きている人と同じに、きちんと扱うのです」

書記は山の向こうの村の生まれで、話す言葉にも、老人の耳に懐かしい訛りが少し残っておりました。老人はうなずき、茶を一杯出しました。書記はそれを飲み干し、湯呑を両手で返してから帰ってゆきました。

 *

月の末まで、あと四日という日の暮れでございました。山の村から、石(せき)という家の母親が町へ下りてまいりました。息子の石保(せきほ)が、塩を背負って山と町とを往き来する背夫(せおいふ)をしておりましたが、町の宿で熱を出し、三日前に死んだのでございます。十九でございました。

母親は役所へも行きました。車は頼めます。けれども車の通る道は峠の手前で尽き、そこから村までは棺を担ぐ人夫が要ります。車の代は紙の銭では受けてもらえず、人夫の代は、村じゅうの家から集めても足りませんでした。北の丘へ葬れば、代はかからない5習わしの理由代のかからない町の墓を断って、母親が塩の袋を背負って坂を上るのは、よその土に葬られた者が眠らないことを、山の村の誰もが知っているからです。町の墓に葬れば、息子は北の丘の土の下で、目を開けたまま年を取る。車の代も人夫の代も出せない家に残る手は、歩いて帰らせることだけでした。基本 → 育つと書記は言ったそうでございます。

母親は老人の家の土間に立ったまま、背の籠から布の袋を下ろしました。塩でございました6山の村では、送る代を塩で払うことがあります。塩は目方で値が決まり、紙の銭と違って一晩で値を失わない。受け取るときに袋の口を開けないのは、中身を疑わないという礼です。。息子が最後に背負って下りた荷の、売れ残りであったと申します。袋は小さいのに、下ろすとき、母親の肩が一度沈みました。

暮れ方の土間で、龍老人が口を閉じた小さな塩の袋を両手で量る。背負い籠の母親が立ち、棚には欠けた碗、包んだ鈴と札の箱。
最後の荷の塩で、息子を送る仕事を頼む母親(想像図)

老人は袋の口を開けて中を見ず、その重みだけを手で量りました。それから、棚の上の碗(わん)を取りました。縁に一か所、昔の旅で欠けた跡のある碗7欠けた縁は、親指を添える側に回して持ちます。葬送師が碗を新しくするのは、割ったときでなく、継ぐ所が無くなったときです。同じ場面 → 封の家・一度きりの雷でございます。老人は町の廟へ行って、廟の道士に符を一枚焼いてもらい8廟の道士に符を焼いてもらう代は、一枚二十文ほど。死者ごとに宛てて書く額の札と違い、符水の符は書き手を選びません。灰は指でかき混ぜず、柳の小枝で溶きます。同じ場面 → 匂いの関記録 → 趕屍の記録を読む、その灰を井戸の水に溶いて符水この世界では符水は、符を焼いた灰を井戸の水に溶いた水。生まれた土地の土に注ぐと術が解け、死者は倒れて眠る。碗を土に置くと符水が土へ通い、よその土では術が半端に解けるので、碗は土に置かない。基本 → 碗の符水(ふすい)を作り、宿の奥の板の間に寝かされていた石保の前に立ちました。

鈴を一つ鳴らしますと、若者は起き上がりました。二つ鳴らしますと、揃えて結んだ足で9習わしの理由死者の足首を白い麻の紐で結んで揃えるのは、歩かせるためでなく、跳ばせるためです。揃えた足は一歩ごとに拍を取り、結びの解けた足は走りだす。結ぶのも解くのも家の者の手で、葬送師は手を添えるだけです。石保の紐が村の桐の下まで結ばれたままだったのは、解く手が、先に帰って待つ母の手だったからです。この決まりの要 → 揃わない列同じ場面 → 六枚目の札、とん、と跳ねました。その跳び方には、ほんのわずかな揺らぎがございました。呼ばれた者が振り向くときのような、生きたものの拍でございます。魂がまだ残っているのでしたこの世界では死んだ人には、心にあたる魂(こん)と、体に残る魄(はく)がある。魂が残るうちは「死者」で、鈴で呼べば応えて歩く。魂が抜けて魄だけになると「屍」で、人を襲う。基本 → 死者と屍。札が無くても連れて行ける10札を結ばずに連れて行けるのは、死んで日の浅い、近い道の死者だけです。額の札は、薄れてゆく魂の代わりに鈴への結びを支えるもの。日が経つほど、札の無い道は危うくなります。基本 → 額の札同じ場面 → 揃いすぎる列。老人は、それを確かめるために鳴らしたのでございます。

「二晩でございます11二晩の道を、葬送師と道士のそろった正規の組で送れば、謝礼と香と草鞋を合わせておよそ二貫。塩の袋一つで払える額ではありません。同じ場面 → 揃わない列・三十里」と老人は母親に申しました。「先へ帰って、棺を支度して待っていてください」

 *

一晩目は霧でございました。

町を出るとき、老人は鈴を低く、間を置いて鳴らしました12町を出る鈴は、坂の上で一つ、坂の下で一つ、川べりで一つと、家並みの切れ目ごとに間を置いて鳴らします。犬の吠え声を聞くと死者の足の拍(鈴と足音の刻む間)が半拍乱れるので、葬送師は鈴を振り直して揃えます。この決まりの要 → 揃わない列・列ごっこ。昔は、この音が坂の下まで届くころには、どの家も戸を閉め、犬を裏へ入れておりました。ところがその晩は、川べりの家で一匹が吠え立て、しばらく止みませんでした。戸口に出てきた若い女が、何の音かという顔で霧の中を覗いておりました。老人は鈴を振り直し、石保の拍を揃えてから、女の前を足早に過ぎました。

山道にかかると、老人は背中で石保の足音を聞きながら歩きました。五十幾年、老人の後ろには二つの足音がございました。死者の揃った足音と、そのもう一つ後ろで、楊道士が草鞋(わらじ)を引きずる音でございます。楊道士は歩き方が下手で、下り坂ではいつも小石を落としました。その夜、後ろから小石は落ちてまいりませんでした。

老人は、ときどき振り返らずに石保へ話しかけました13道の細くなる所、石の動く沢を先に告げておくのは、列を導く者の手順の一つで、独り言ではありません。振り返らないのは、左の碗の水面から目を離さないためです。この決まりの要 → 腰の草鞋。この曲がり角の先で道が細くなる。ここの沢は、雨の後には石が動く。答えはございません。けれども鈴を鳴らすたびに、若者の足はわずかな揺らぎを伴って、遅れずについてまいりました。

夜明け前に、峠の下の山の廟に着きました。昔は廟守がいて、送る一行のために奥の間を空けてくれたものでございますが、今は屋根が半分落ち、廟守の姿もございません。老人は石保を柱のそばに立たせ、碗を土に置かぬよう、崩れた供え台の上に載せました14山の廟の供え台は、送る一行が碗を置く所として昔から使われ、廟守は台の端をいつも空けておきました。台が崩れても、廟守がいなくなっても、葬送師は同じ端に碗を置きます。同じ場面 → 一筆・三十里。若者は木綿の死装束で、額には札も無く15木綿の死装束は、送る代を自分では払えなかった死者の装いです。官服(役人の服。自分で送る代を払える死者の印)を着せて送られる客もいましたが、山の村の背夫にそれは無い。札を結ばず、旗も差さず、木綿だけで二晩歩いた石保の姿は、七十五年のちの村の家で、まだ語られています。基本 → 銭同じ場面 → 土地廟のない村、霧の露だけが細かく置いておりました。それから自分の銭で買ってきた線香を一本16宿に入って立てるのは明け方の一本です。一本四文、町の香屋では一束五十本で二百文。自分の銭で香を買う葬送師は、町を出る前に一束だけ買って、夜ごとに数えて使います。この決まりの要 → 一本の線香同じ場面 → 草鞋の数この世界では死者は飯を食べず、香の煙を糧にする。煙は魂の残る死者の方へ折れて吸われ、吸う者がいなければまっすぐ昇る。香が絶えると、魂が早く薄れる。基本 → 香、若者の前に立てました。煙ははじめ真上へ立ち、若者の顔の高さまで来ると、そちらへ折れてゆきました。落ちた屋根の穴の向こうで、空が明けてゆきました。

半分屋根の落ちた山の廟。札のない石保が柱脇に後ろ向きで立ち、龍老人が休むそばの崩れた供え台に碗が載る。一本の線香の煙が若者の方へ折れる。
土には置かず、崩れた供え台に載せた碗(想像図)

昼のあいだ、老人は供え台の脇で少し眠りました。目を覚ますと、陽の射す床の上に、石保の影が細く伸びておりました17術のかかった死者は、昼のあいだ立ったまま休みます。息をしない体は揺れず、影の形は昼のあいだ変わらない。目を覚ました葬送師が見るのは、影の向きでなく影の形です。形が崩れていなければ、昼のあいだに膝が折れていない印です。。影は少しも動いておりませんでした。

 *

二晩目、峠を越えたあたりで、老人は鼻に、かすかなものを感じました。

若者の襟のあたりに、甘いものが、ほんのかすかに混じっておりました。死んで五日目の夜でございました。

老人は鈴を鳴らしました。返りは遅れませんでした。二度、三度と鳴らしても、若者の足は揺らぎながら、ちゃんとついてまいります。それでも老人は歩みを速めました。右手で鈴を振り、左の掌の碗を胸の高さに保ち18下り坂では、碗の水が前の縁へ寄ります。葬送師は坂にかかると肘をいっそう固め、膝から下だけで歩いて水面を平らに保つ。夜半を過ぎた年寄りの肘には、それがいちばん堪えます。同じ場面 → 吊り橋の拍・反る札、下り坂のたびに、水が縁から揺れ出ぬよう肘を固くいたしました。七十を越えた肘は、夜半を過ぎると、自分のものでないように重うございました。

東の山の端が白くなるころ、谷の底に村の屋根が見えてまいりました。村はずれの桐(きり)の木の下に、新しい白木の棺19山の村の急ぎの棺は、軽くて乾きの早い桐で組みます。漆を塗る間が無いので白木のまま。寿材を持たない家が二晩で支度できる棺は、たいていこれです。同じ場面 → 一筆・土地廟のない村が一つ置かれ、そのそばに母親と、村の男が三人立っておりました。母親は二晩のあいだ、ほとんどそこを離れなかったと、後で男の一人が申しました。

老人は棺の脇で鈴を止めました。石保は、とん、と跳ねて止まり、生まれた谷の方を向いて立ちました20帰り着いた死者は、鈴を止めると、墓の穴よりも家のある方へ顔を向けます。葬送師はその向きを見てから碗を傾け、家の者は、その向きのまま棺の頭を置きます。同じ場面 → 六枚目の札・一本の線香。老人は碗を傾け、符水を若者の足もとの土へ細く注ぎました。故郷の土でございます。水はすぐに吸い込まれ、若者の膝が折れました。男たちがその体を受け止めました。

そのとき、止まっていた五日分の匂いが、一度に来ました21解けた瞬間の匂いは、待った日数で重さが違います。五日ぶんなら、谷を渡る朝の風が一度通れば抜ける。年を越して待った死者の匂いは、狭い所に長くこもります。同じ場面 → 三十里記録 → 趕屍の記録を読むこの世界では死者は自分の足では水を越えられない。川は舟に青い札を留めて渡り、海は棺に納めて船で運ぶ。術のあいだは体の腐りが止まり、術が解けると、止まっていた日数ぶんの匂いが一度に出る。基本 → 水と匂い。

誰も顔をそむけませんでした22習わしの理由帰り着いた死者の匂いに、家の者は顔をそむけません。こらえているのではなく、帰ってきた死者を迎える礼です。山の村では「匂いが来て、帰ったことになる」と言います。この決まりの要 → 三十里。母親は息子の頭を抱えて棺へ納め、男たちが手早く蓋の支度をいたしました。母親が息子の足首の紐に指を掛けると、老人は膝をついて手を添えました。紐は夜露を吸って固くなり23麻の紐は濡れると締まり、乾くと緩みます。明け方に解く結びは夜露で固い。手を添える年寄りの葬送師は、結び目に息を吹きかけて温め、爪の先で一本ずつ起こして、家の者の指が入るようにします。、二人の指はなかなか結び目をほどけませんでした。

石保はその日のうちに、谷の上の、家の畑を見下ろす土に葬られました。

 *

葬りが済むと、母親は老人に粥を出し、塩の残りを持って帰れと申しました。老人は粥だけを頂きました。

母親は、しばらく老人の手元の碗を見ておりました。碗の底には、まだ指一本ほどの符水が残っております。

「おじいさんが亡くなったら」と母親は言いかけ、そこで言葉を切りました。

老人は碗の口を布で覆って包みました。老人の生まれた谷は、沅水を遡った先の、貴州の境に近い、白い岩の見える所にございます。十四で出てから、一度も帰っておりません。送る道が、そちらへ向いたことが無かったのでございます。そこへ帰るには、大きな川を一つ越えねばなりません。たとえ誰かが代わりに鈴を振ってくれたとしても、船べりに留める青い札24青い札は、舟で水を越えるあいだ死者を舟に留めておく札で、額の札と同じく道士が書きます。効きは一年です。楊道士が亡くなったのはおととしの冬なので、箱の札に青い札が混じっていたとしても、もう舟には効きません。老人の帰り道で先に絶えたのは、川でも舟でもなく、札を書く手でした。この決まりの要 → 封の家同じ場面 → 鈴の箱を書く者が、もうおりませんでした。

老人は母親に礼を言い、昼のうちに帰りの道につきました。生きた者は、昼に歩いてもかまわないのでございます。

 *

町へ戻ったのは、月の末の日でございました。

坂の下で、役所の書記に会いました。書記は老人の顔を見て、ほっとしたように笑いました。旧い仕事をしていた人の名を帳面に記しておくように言われている、と書記は申しました。そして老人の名と年を書き留め、筆を置いてから、少し声を和らげました。

「おじいさんは身寄りが無いと聞きました。心配はいりません。その時が来たら、北の丘に、役所がちゃんと葬ります。棺も出します」

書記は本心からそう言ったのでございます。老人は礼を言いました。

家へ戻る前に、老人は北の丘の下を通りました。丘の斜面には、まだ新しい木の墓標が、段々に並んで25よその土に葬られた死者は、魂が抜けるにつれ魄だけが強まって育ちます。墨の線で囲えば遅らせられますが、線は一つの雨季しか保たず、引き直す者がいなければそれきりです。六十年のち、この丘を「夜になると音がする丘」と呼ぶ道士がいます。基本 → 育つ同じ場面 → 封の棺おりました。この町で死んだ、よその土地の者たちでございます。どの墓標にも名と、生まれた県の名が墨で書いてありました。老人はその並びを、端から端まで見てゆきました。故郷の土でない所に葬られた者がどうなるかを、老人は五十幾年のあいだ、幾度も見てまいりました。しばらくのあいだ、丘の下に立っておりました。

家に入ると、土間は冷えておりました。老人は包みを解き、碗を取り出しました。底には、まだ指一本ほどの符水が残っております。いつものように棚へ載せかけて、老人は手を止めました。そうして、腰をかがめ、碗を土間の土の上に置きました。十四の年から、一度もしなかったことでございます。

碗の底が土に触れる、小さな乾いた音がいたしました。

何も起こりませんでした。倒れる者も、重く沈む者も、その土間にはおりませんでした。老人は棚の箱の蓋を閉め、鈴を布に包んで箱の上に載せ、その晩は早く床に就きました。

あくる朝、碗の中は空になっておりました。こぼれた跡はございません。ただ、碗を持ち上げますと、その下の土が、碗の底の形に丸く湿っておりました。

この話は、研究所の設定をもとにした創作で、史実ではありません(短編集について)。