研究所の創作 短編集
三十里
清の初め / 福建の海辺、内へ移された村と捨てられた浜の村
つながる話 杖の間(旅先の土に注がれた父と、杖を突く一息の間)・草鞋の数(同じ福建の海辺、組の銭で義荘から送る)この世界の基本 碗の符水・水と匂い・鈴と拍・送る二人・死者と屍・香
本文の ◦ の印には、この世界の基本の短い説明が付いています。小さな番号は欄外解説で、その場面の決まりの細部や、ほかの話とのつながりを説明します。画面が狭いときは、印や番号を押すと開きます。この世界の基本
清の初めのころ、福建の海辺では、国の命令で、浜から三十里のうちに住む者がみな内へ移された1浜から三十里を空ける命令で、海の側には溝と土の垣が引かれ、間を置いて見張りの墩台が立ちました。墩台は夜に灯を掲げ、犬を飼う。垣を越えれば斬るのは、死者を連れた一行でも同じです。のでございます。家は焼かれ、舟は壊され、浜と村々とのあいだには溝が掘られ、土の垣が築かれました。垣の向こう、海の側へ出た者は、わけを問わず斬る、というお触れでございました。
洪(こう)という老人も、そうして移された一人でございます。もとは浜の村で、網を繕って暮らしておりました。移された先は山の裾の、石まじりの痩せた畑で、潮の音は、風の向きのよい夜にかすかに届くばかりでございます。三年のうちに、村の者は三分の一ほど減りました。最初の冬に寒さと飢えで、次の年からは散り散りに、町の日雇いや、よその土地の小作へ出てゆきました。洪老人には網を繕う腕のほかに何もなく、それを使う海もございません。それでも夜になると、とうに用のない古い網を膝に広げ、指の覚えだけで目を結んで2浜の網は、麻糸を薯莨(しょりょう)の汁で茶に染め、竹の網針に糸を巻いて繕います。目の大きさは目板という薄い板で揃えますが、慣れた手は板を使わず、指の幅で測ります。おりました。
ある秋の夜、老人は夢を見ました3家の者が絶えていれば、着く前の夜の夢は、待つ者として残った縁者に届きます。届く順は血の縁、同じ屋根、同じ仕事で、網の結びを教えた師も縁者のうちです。同じ場面 → 半拍の鼓・緡の長さ。焼ける前の浜の村の路地に、阿潮(あちょう)が立っております。阿潮は、老人が若いころ網の結びを教えた漁師で、七年前、南の潮州(ちょうしゅう)へ行く商いの船に水夫として乗り、その港で熱に倒れて死んだ男でございました。夢の中の阿潮は、自分の家の戸口に向かって何か呼んでおりました。けれども戸は開かず、中から答える声もありません。老人は声を掛けようとして、自分がその路地にいないことに気づき、目が覚めたのでございます。
あくる日の暮れ方、山の道から鈴この世界では葬送師が鈴を鳴らすと、魂の残る死者は呼びかけに応えて自分で跳ぶ。鈴と足音が刻むリズムが「拍」。足音で鈴に応えるのが「返り」で、返りが夜ごとに遅れてゆけば、魄が強まった印。基本 → 鈴と拍の音が下りてまいりました。
前を歩くのは柯(か)という四十がらみの葬送師この世界では死者を送るのは二人組。前を歩く葬送師は、鈴で死者を呼び、碗の符水で眠らせ、墨斗で屍を止める線を打つ。後ろを歩く道士は、札で死者を結び、屍を封じ、雷で弱らせる。基本 → 送る二人で、左手に碗(わん)、右手に鈴を持っております。後ろには呂(ろ)という若い道士がつき、そのあいだを、額に札を結んだ死者この世界では死んだ人には、心にあたる魂(こん)と、体に残る魄(はく)がある。魂が残るうちは「死者」で、鈴で呼べば応えて歩く。魂が抜けて魄だけになると「屍」で、人を襲う。基本 → 死者と屍が一人、両足をそろえて跳ねてまいりました。粗い布の死装束の胸に、浜の漁の組の4浜の漁の組の木札は、表に組の名、裏に郷でなく、乗っていた舟の名を焼きます。浜では、人を村より舟で数えるからです。同じ場面 → 草鞋の数木札(きふだ)が下がっております。呂の担ぐ銘旌(めいせい)には、蔡(さい)阿潮、と書いてございました。
柯の話では、阿潮は死んでから四年、潮州の義荘(ぎそう)で戸の後ろに立って待っていた5義荘で立てて待たせるのは魂の多く残る死者で、場所を取らず、棺を借りる代も要りません。預かり賃は一体一日十文、四年で十四貫あまり。待つあいだの香は義荘が焚きます。同じ場面 → 杖の間記録 → 旅の死者を故郷へ帰すのでございます。送る銭は、浜の漁の組が、網元(あみもと)から小舟一艘の持ち主まで6浜の組の積み立ては月ごとでなく漁期ごとで、網元は網一張りにつき、小舟の主は一艘につき割り当てられます。遠くの義荘へ銭を届けるのは年に一度、春の漁の上がりからです。、年ごとに少しずつ出し合っては潮州へ届けておりました。最後の分が届いたのは、お触れの出る前の春でございました。義荘はすぐに柯と呂を頼みましたが、歩く死者は海の船に乗せられません7潮州から浜の村までは、海の船なら幾日もかからぬ道です。陸を回れば、山を越え、海へ注ぐ川を幾つも渡り、雨に止まれば月を越す。棺に納めて蓋に船の封(海を渡るあいだ蓋を閉じておく一枚。屍を封じる封とは別)を貼れば船底の荷になれますが、柩を積む船は賃を三倍取り、浜の村には棺を開けて歩かせ直す義荘も組もありません。浜の組の銭で阿潮を帰すには、遠い方の道しかありませんでした。この決まりの要 → 鈴の箱同じ場面 → 封の家。一行は陸を来たのでございます。
ところが、浜伝いの道は途中から垣で断たれておりました。一行は山へ回り、川を越この世界では死者は自分の足では水を越えられない。川は舟に青い札を留めて渡り、海は棺に納めて船で運ぶ。術のあいだは体の腐りが止まり、術が解けると、止まっていた日数ぶんの匂いが一度に出る。基本 → 水と匂いえるたびに舟べりに青い札を留め8浜伝いの道を断たれて山へ回ると、海へ注ぐ川を上の方で幾つも越すことになります。川を越すたびに船べりの四隅に青い札を四枚、六百文。舟賃は、死者を乗せる川の渡しなら常の倍です。同じ場面 → 封の家・吊り橋の拍、雨の続いた月には宿で幾夜も足を止めました9雨で止まる夜も、香は一人三本を欠かせず、そこへ宿代が一晩ぶん乗ります。組から預かった銭は、晴れて歩いた夜より、雨で止まった夜の方が速く減ります。同じ場面 → 草鞋の数。組から預かった銭は、青い札と夜ごとの香の代とで10香は一人一夜三本、一本四文で十二文。香だけで、半年に二貫あまりになります。魂が年を越えて保つのは、帰りたい思いの強い者が、香を絶やさずに来たときだけです。同じ場面 → 九つの碗・草鞋の数この世界では死者は飯を食べず、香の煙を糧にする。煙は魂の残る死者の方へ折れて吸われ、吸う者がいなければまっすぐ昇る。香が絶えると、魂が早く薄れる。基本 → 香、半年前に尽きていたそうでございます。それから先の香を誰が買ったのか11組の銭が尽きたあとの香は、葬送師が自分の謝礼から出します。帳面の香の欄には入れず、相手の道士にも言わない。それを漏らすのはたいてい弟子か相方で、火の番の夜と決まっています。同じ場面 → 緡の長さ、柯は言いませんでした。呂が、火の番をしながら、ぽつりと漏らしたのでございます。組の者はとうに散って、足りない代を申し出る先も、もうございませんでした。
移された村の者は、鈴を聞いて戸を閉め、犬を裏へ入れました12習わしの理由戸を閉め、犬を裏へ入れるのは、列を怖れてでなく、列を乱さないためです。順は犬が先で、戸を閉めるあいだに犬が道へ出れば、閉めた意味がない。移された村の者は浜の習いをそのまま持って来ていて、三年たっても、鈴を聞けば体が先に動きました。この決まりの要 → 揃わない列同じ場面 → 列ごっこ。けれども銘旌の名を聞き伝えると、何人かは戸の隙から覗きました13人に見られると術は乱れますが、すぐに破れはしません。戸の内から覗くくらいでは、列は崩れない。崩れるのは、道に出て列の前に立たれたときです。同じ場面 → 行き違い。浜で阿潮と同じ舟に乗った男は、もう一人も残っておりません。残っているのは、年寄りと、浜を覚えていない子供ばかりでございます。子供の一人が、あの人はどこへ帰るの、と母親に尋ね、母親は子供の口を手でふさぎました。
柯は、阿潮の家の者はどこかと尋ねました。老人は、阿潮の女房の秀娘(しゅうじょう)が、移された最初の冬に死んだことを話しました。子はなく、秀娘の墓はこの山の裾にある、と。
柯は碗を置く台はないか14浜の家では、小屋の脇に、網を干す竿を渡すための台石が、たいてい二つ三つ転がっています。何年も碗を載せて歩いた葬送師の左の掌には、糸底の丸い跡が胼胝(たこ)になって残ります。同じ場面 → 揃わない列・碗の跡と申しました。老人は小屋の脇の石を二つ寄せ、その上に戸板を一枚渡しました。柯は碗をそこへ据え、ようやく左の手を下ろしました。碗の底には灰が沈み15碗の底の灰は、焼いた符の灰です。灰は沈み、上澄みは澄む。道中で減った水は宿の井戸の水で足し、道士が符を一枚焼き足しますが、灰は捨てずに底に溜めておく。灰の厚さが、旅の長さです。浜の村の井戸は石で埋められていて、足す水は、もうありませんでした。同じ場面 → 杖の間、上澄みは、何年も運ばれてきたとは思えぬほど澄んで、夕方の光を薄く載せておりました。

「ここへ注いでは、いけませんか」と老人は申しました。「秀娘のそばへ」
柯はしばらく黙ってから、よその土に注がれた死者この世界では符水は、符を焼いた灰を井戸の水に溶いた水。生まれた土地の土に注ぐと術が解け、死者は倒れて眠る。碗を土に置くと符水が土へ通い、よその土では術が半端に解けるので、碗は土に置かない。基本 → 碗の符水の話をいたしました。倒れもせず、眠りもせず、足が地に据わって重くなり、立ったまま動かなくなる。夜が来ても、朝が来ても、そのまま立っている。「帰る土でなければ、そうなります」と、柯はそれだけ申しました。
老人は阿潮の顔を見ました。額の札の下の頬は、七年前に死んだ日のままでございます。けれども顔を寄せると、潮州の香の匂いの底に、かすかに、甘く重い匂いが混じっておりました16戻り(術で止まっていた腐りが、術が緩んで戻り始めること)の匂いは、はじめ熟れすぎた果物のように甘く、日を追って重くなります。宵に香を継ぐたび、呂は襟元に顔を寄せて嗅いでいました。十日、と数えられたのはそのためです。同じ場面 → 行き違い・杖の間。この十日ほどで戻ってきた匂いだ、と呂が申しました。鈴を鳴らしても、返りの遅れる晩がある。長くは待てないのでございます。
垣の土は、この夏の大雨で一か所崩れて17硬い体は、垣を越えられません。塀や梯子を越えられないのと同じで、揃えた足で跳べるのは膝の高さまで。土の垣を越すには、崩れて土が斜めになった所を、跳ねて上るしかない。老人の知っていた崩れは、垣のうちでただ一つの、死者の通れる道でした。同じ場面 → 封の家おりました。村の子が薪を拾いに近づいて叱られた場所で、老人はそれを知っておりました。見張りの墩台(とんだい)からは離れておりますが、灯は見える距離でございます。
柯は呂に、ここへ残れと申しました。二人とも捕まれば、潮州の義荘へ阿潮のことを知らせる者がいなくなる、と。呂は何か言いかけて、懐の札を何枚か柯に渡しました。老人は、寝るときに敷く蓆(むしろ)を一枚丸めて背に負い、先に立ちました。路地を知っているのは自分だけだ、とも言いませんでした。
鈴は布で巻いて18鈴を布で巻くと高い音が消え、低い底の音だけが残ります。死者は高い音で拍(鈴と足音が刻む間)の頭を、地を伝う低い音で足の着く底を知る。頭の欠けた拍では、足は少しずつ遅れて落ちます。同じ場面 → 半拍の鼓、柯の袖の内で鳴らしました。音はくぐもって、自分の胸の中で鳴っているようでございます。阿潮の足は、そのたびに少しずつ遅れて地に落ちました。崩れた垣の手前で、遠くの墩台の犬が一声吠え、阿潮の札の端が震えて、足が一つ乱れました。柯は立ち止まり、鈴をもう一度、袖の中で鳴らしました。
そのとき老人が、声にならない息で、何かを刻みはじめたのでございます。浜で網を引くときの掛け声19魂の残る死者の足は、鈴でなくても、生前なじんだ仕事の拍に合います。浜の地引き網は、引く・足を送るの二拍で一引き。人の息で刻む拍は、鈴よりわずかに揺らぎます。同じ場面 → 杖の間でした。声を出せば墩台に届きます。老人は唇を動かさず、息の出入りだけで、ひと引き、ふた引き、と拍を取りました。阿潮の足は、その息の上に落ちました。鈴よりわずかに揺らぎのある、生きた者の足どりのような拍でございました。柯は老人の横顔を一度だけ見て、鈴をその息に合わせました。

崩れた土を越えると、潮の匂いがいたしました。三年、風の具合でしか届かなかった匂いが、足もとから立ちのぼってくるのでございます。
浜の村は、月の下で白うございました。牡蠣殻(かきがら)を塗り込めた壁20浜の家の壁は、牡蠣殻を石灰と土に塗り込めて築きます。殻は潮に強く、火にも崩れない。屋根が焼け落ちたあとも、壁だけが月の下で白く残ります。だけが残り、屋根はどれも焼け落ちております。戸口という戸口に砂が吹き込み、路地には、ひとの背ほどの草が潮風に倒れておりました。浜には、壊された舟の肋(あばら)が、大きな魚の骨のように並んでおります。村の真ん中の井戸には石が投げ込まれ、縁に掛けた釣瓶(つるべ)の縄だけが、潮風に小さく揺れておりました。海の神を祀った小さな廟は、扉が外され、中は空でございます21習わしの理由村を捨てるとき、廟の扉まで外して行くのは、神の留守を示すためです。像を運び出しても、扉のある廟には、帰れずに道ばたに残った魂が入り込み、空の廟が誰も祀らない祠になる。扉を外した廟はただの小屋で、何も宿らない。像は山の仮の祠に祀られ、浜へ戻れる日を待ちます。同じ場面 → 土地廟のない村。移される朝、村の者が神像を背負って山へ運んだのでございました。老人は自分の家の前を通りましたが、足を止めませんでした。
阿潮の家は、路地の突き当たりでございました。壁は半分崩れ、敷居の石だけが、もとの場所に残っております。阿潮は漁のない日、その石に腰を掛けて網を繕っておりました。老人が教えた結びで、老人より速く。
柯は阿潮を敷居の脇に立たせ、碗を左の掌に載せ直して、その足もとの砂まじりの土へ、ゆっくりと符水(ふすい)を注ぎました。
阿潮は倒れました。重く沈むのではなく、長い網を引き終えた男が、浜に腰を下ろして、そのまま横になるような倒れ方でございました。
それから、匂いが来ました。止まっていた七年ぶんの匂いが22浜の家では、倒れた体を包む蓆を海の水で湿しておき、潮の匂いが少しでも上に立つようにします。七年ぶんの匂いを乾いた寝蓆で包んだのは、急な帰りのしるしです。潮の匂いは、砂を掘るあいだにようやく追いつきました。同じ場面 → 草鞋の数・杖の間、一度に、狭い路地に満ちたのでございます。柯は顔をそむけませんでした23習わしの理由解けたときの匂いに顔をそむけないのは、我慢ではなく礼です。止まっていた日数ぶんの匂いは、その死者が待った時間そのもので、家の者はそれを受け取ってから棺を閉じます。家の者がそむけば、葬送師が代わりに受け取ります。同じ場面 → 緡の長さ・杖の間。老人も、そむけませんでした。
棺はございません。老人は背の蓆を下ろして砂の上に広げ、阿潮の足もとに屈みました。両足を結んだ紐を24足の結びを解く家の者が絶えていれば、待っていた縁者が解きます。網の結びを教えた老人の指は、夜露で締まった麻の結び目も、迷わずに起こせました。同じ場面 → 一筆・杖の間、網繕いの指でほどいてゆきます。結び目は固く、夜露に湿っておりましたが、老人の指は一度も迷いませんでした。柯は額の札の紐を解いて札を袖に納め25外した額の札は、葬送師が袖に納めて道士の手に返します。浜の夜露で湿った札はその場では焼けないので、呂が乾かしてから自分の手で焼きます。同じ場面 → 六枚目の札、二人で阿潮を蓆に包みました。浜で拾った折れた櫂(かい)と、老人の手とで、家の裏の土を掘りました26生まれた土は村ひとつの広さで、村の墓地でも家の裏でも眠ります。目印になるのは、家でいちばん長く土に据わっている竈の跡で、家の裏はそれに近い。それに、折れた櫂で掘れる深さは、夜の残りぶんしかありませんでした。同じ場面 → 封の棺・撿骨の日。潮の匂いと、掘るほどに冷たくなる砂の手ざわりと、蓆の中の重みとが、夜の残りをすっかり使いました。
土をかぶせ終えると、老人は敷居の石に腰を下ろしました。しばらく何も言わず、波の音を聞いておりました。やがて、「秀娘は、ここへは来られんのう」とだけ申しました。
柯は答えず、空の碗を布に包みました。東の空が、少し灰色になっておりました。
老人は立ちませんでした。この石に座ったまま朝を待てば、昼には見回りの兵が来るでしょう。そうなれば自分も、この浜の土に入れてもらえるかもしれない、と老人は考えたのでございます。柯は急かしませんでした。ただ、山の裾の小屋には、老人が網の結びを教えている子供が一人おりました。親を最初の冬に亡くした子で、夜は老人の蓆の端に寝ております。その蓆は、いま阿潮を包んで土の下にございます。やがて老人は敷居に手をついて、ゆっくりと立ち上がりました。
二人は来た道を戻り、崩れた垣を越えました。墩台の灯は、夜のうちと同じところにございました。
その日の暮れ、柯と呂は潮州へ帰ることになりました。見送りに出た老人は、道の端で、ふと柯に尋ねました。
「わしが死んだら、いくらで送ってもらえるかの」
柯は老人の顔を見て、それから浜の方角を見ました。
「三十里なら、一晩の道でございます27三十里はおよそ五万四千尺、一跳び二尺で二万七千跳びほど。亥の刻に発てば、寅の刻までに着く道です。一夜に進むのは、山の道で四、五十里、平らな街道で六十里ほど。同じ場面 → 行き違い・碗の跡」
柯はそれ以上、何も申しませんでした。老人もそれ以上は尋ねず、うなずいて、二人の背が山の道へ消えるまで見ておりました。
その夜から、老人と子供は、藁を少し敷いただけの土間に寝るようになりました。蓆を買う銭は、まだございません。子供が寝入ったあと、眠れぬ夜には、あいかわらず古い網を膝に広げて、目を結んでおりました。網は三年、海に入っておりませんが、夜露に湿ると、今でもかすかに潮の匂いがいたしました。
この話は、研究所の設定をもとにした創作で、史実ではありません(短編集について)。