研究所の創作 短編集
草鞋の数
清の初め / 福建の海辺の町の義荘
つながる話 封の家(弱らせて封じ、送る銭が貯まるまで待つ)・九つの碗(義荘で三年待った死者の魂の保ち)この世界の基本 銭・封・死者と屍・義荘と土地の神・額の札・送る二人
本文の ◦ の印には、この世界の基本の短い説明が付いています。小さな番号は欄外解説で、その場面の決まりの細部や、ほかの話とのつながりを説明します。画面が狭いときは、印や番号を押すと開きます。この世界の基本
福建の海辺に、潮の引くたび、黒い泥と小さな貝殻とを見せる町がございました。町の人は海の向こうを、近いように語りました。帆を見れば一日、風が悪くても二日、と申します。しかし海の向こうで死んだ者が帰るとなると、その二日が、ひどく長いものになるのでございます。
町はずれの松の陰に、義荘1義荘は、町はずれの水はけのよい高みに建てます。預かり賃は一体一日十文。待つあいだの香は義荘が焚き、預かり賃と寄付で賄う。旅の会計に香の欄が立つのは、出立してからです。同じ場面 → 鶴の胸この世界では義荘は、旅の死者を預かる町はずれの小屋。土地の神(土地公)は、死んだ人の魂を三日のあいだその土地に留めて預かり、故郷へ帰れなかった者たちも預かる。基本 → 義荘と土地の神(ぎそう)が一軒ありました。土壁は昼には白く、日が沈むと海の色を吸って青くなりました。そこに、台湾から船で戻った2海の船は歩く死者を乗せません。台湾で死んだ者は、向こうの港で術をかけたまま棺に納め、蓋の合わせ目に船の封の一枚を貼って船底の荷となり、柩を積む船は船賃を常の三倍取る。港の義荘で船の封を切って棺から出し、そこで初めて歩く客になります。帆で一日の海が、死者には長いのはそのためです。この決まりの要 → 鈴の箱同じ場面 → 封の家龐文達(ほうぶんたつ)の屍(しかばね)が置かれておりました。まだ李家郷(りかきょう)へ帰す仲間が一人しかなかったため、文達は戸の後ろに立ち3置き方は魂の残り具合で分けます。魂の多い若い死者は戸の脇か後ろに立て、札と足の結びで足りる。魂が薄れた死者や雨の夜・月の夜は、借り賃を払って棺に入れ、育ちかけたものには米や鉄を撒いて墨線を打ちます。同じ場面 → 二つに分かれた死者記録 → 旅の死者を故郷へ帰す、額の札この世界では額の札は、薄れてゆく魂を体に結びとめ、死者が鈴に応えられるようにする紙の札。道士が黄色い竹紙に朱で書き、宛て先にその死者の名(知らなければ郷)を書く。効きは一年。基本 → 額の札を風にも動かさず、黙って海の方を向いて4義荘で待つ死者は、戸の後ろや脇に、故郷の方角へ顔を向けて立てます。向きを決めるのは番人で、方角の分からない番人は港の船頭に聞く。海の向こうから来た死者は、たいてい海の方を向いてしまいます。いたのでございます。
阿澄(あちょう)は十四になったばかり5葬送師の弟子が最初に任されるのは、帳面と草鞋です。墨斗の糸を一人で弾けるのが早くて三年目、鈴を持てるのは五年目から。鈴は、一行の全員の足を預かる道具だからです。でした。葬送師この世界では死者を送るのは二人組。前を歩く葬送師は、鈴で死者を呼び、碗の符水で眠らせ、墨斗で屍を止める線を打つ。後ろを歩く道士は、札で死者を結び、屍を封じ、雷で弱らせる。基本 → 送る二人の梁(りょう)老人に拾われて二年、鈴を鳴らすことも、墨斗(すみつぼ)の糸を弾くことも、まだ一人では許されません。ただ、死者の荷札から名と郷と死んだ日を写し、帳面に草鞋(わらじ)の数を書くことだけを任されておりました。ふだんの飯は梁老人の椀から分けてもらうので、会計に入る飯は、梁老人と許(きょ)道士の二人分だけでございました。
文達は海を渡る前、妻と母を李家郷に残しました。新しい草鞋の左の鼻緒には、妻が渡航の朝に結んだ青い糸6旅立ちの草鞋の鼻緒に糸を結ぶのは、福建の浜の習いです。色は行き先で変わり、海を渡る者には青、山へ入る者には赤。帰りの草鞋には結びません。結んだ糸がほどける前に帰れ、という意味だからです。がありました。それは船から揚げられた時にも、死んだ足に結ばれたままでございました。阿澄は、帳面の名の脇へ、小さく青糸あり、と記しました。帳面にないものも、見落としてよいものではない、と梁老人は教えていたからでございます。

町の船主、米屋、網を繕う女たちが銭を出しました。この浜へ遺体を置けば、夜道を行く者が困る。土地の合わぬ所へ急に埋めれば7浜の町が死者を急いで埋めないのには、苦い覚えがあります。浜の古い墓地の外れには、合わない土に埋めて育ってしまった死者を掘り返した跡が並ぶ一角があり、町の者は今もそこに家を建てません。基本 → 育つ記録 → 屍の段階を読む、なお困る。だから故郷へ還そう、というのでございました。しかし一人ずつ送り出すだけの銭は集まりません。同じ李家郷の死者を五人まとめて送れば8習わしの理由送る一行は、行き先の同じ死者をまとめて出ます。列の全員が一つの碗の拍につながるので、途中で一人だけ解けば残りの拍が乱れる。同じ郷なら、村の入口から順に解いて回れます。人数を待つのは銭のためだけでなく、列を一つの碗で保つためでもあります。、ようやく正規この世界では死者を故郷へ送るには銭がかかる。払える額で、正規の組か、潜り(正規でない安い組)か、その夜だけ雇う術者かが決まる。官服を着た死者は、自分で送る代を払える者。基本 → 銭の組を頼めるのでございます。
会館の世話役9仲間の銭で送られる死者は官服を着ず、ふつうの死装束のまま、銘旌(名と郷を書いた旗)と会館の木札で身元を示します。木札の表に会館の名、裏に死者の郷を焼き印で入れる。宿も関所も、この木札で一行を通します。同じ場面 → 鶴の胸・揃わない列、張(ちょう)は帳場で、阿澄の前に二十貫の銭10一貫は千文で、紐に通した千文の束が一本。二十貫は二十本で、一人で抱えると腰に来ます。会館の世話役が腰を痛めるのは、たいてい送る銭がそろった月です。を並べました。
「梁さんと許道士の組なら、二十貫で五人を李家郷まで送る。」
張は、指で帳面の欄を押さえながら申しました。
「葬送の謝礼が十貫11謝礼の分け方は土地で違います。福建の浜では葬送師が六、道士が四。湘西では逆で、道士が六を取る。梁老人と許道士なら、六貫と四貫です。同じ場面 → 揃わない列。六夜の宿と山道の案内、二人の飯、それに五人へ夜ごと焚く香12香は一人一夜三本、宵と夜半と明け方に一本ずつ継ぎます。五人の六夜で九十本、一本四文で三百六十文。絶えると魂が早く薄れるので、安い一行ほど香をけちり、その死者は旅のあいだに育ちます。基本 → 香が五貫。草鞋三十足が三貫13送る草鞋は、底を二重に編んだ一足百文のもの。足を揃えて跳ぶ硬い体は、それでも一夜で藁を擦り切らせます。待つ日は零、歩く夜は人数分。帳面の草鞋の数は、そのまま旅の長さです。。残る二貫は、道中のために置く14雨で一晩止まると、宿と案内と飯と香で、およそ八百文が余計にかかります。歩かない夜は草鞋が減りません。二貫は、雨の二晩と札の張り替え一度ぶんの見込みで、正規の組はこれを削りません。。」
草鞋は、五人が六夜歩くので、五足ずつ六度、三十足でございました。阿澄は、五、十、十五、と数え、帳面の買い入れの欄に、三十足と墨で書きました。
張はさらに、その二貫の上へ掌を置きました。
「これは余りではない。山で雨が降れば、もう一晩、宿を借りる。札が破れれば、新しい札と朱砂(しゅさ)を買わねばならぬ。五人を途中で止めないための二貫だ。」
以前、もっと安く請け負う者も来たのでございます。葬送師らしい男と、札を何枚か持っただけの男15安物の道士の札は、見れば分かります。紙が竹紙でなく草紙、朱が紙に沈まず表に浮いている、最後の一画に癖が無い。刷った札を買って持ち歩く者もいて、そういう札は湿りで一晩のうちに反ります。同じ場面 → 揃わない列とで、十四貫だと申しました16潜りの十四貫の中身は、謝礼八貫、宿と飯と一夜一本きりの香で四貫二百文、一重底の安草鞋三十足で一貫八百文。予備は零です。一重底は一足六十文で、雨の夜には半夜で底が抜けます。。けれども張は、その値で五人を送れば、余分の札も草鞋も持てない、と帳面を閉じました。町の者は豊かではありませんでしたが、五人そろえれば、梁老人と許道士を頼めるだけの金になるのでございました。
文達が着いたのは、最初の日でございます。六日目に、染物屋の殷(いん)という男が来ました。十日目には、乳飲み子を妹へ預けて渡った女が、白い麻布に包まれて戻りました。十五日目には、港で石に足を挟まれた石工が来ました。阿澄は名を書き、草鞋の欄には、どの日にも零と記しました。
待つ死者に、新しい草鞋は要りません。義荘では、朝夕、梁老人が鈴を一つ鳴らし、額の札を見て、魂がまだ音の方を向くか17待つ死者に朝夕鳴らす鈴は一打だけで、見るのは足でなく顔です。音のした方へ、首がわずかに向くかどうか。向かなくなった死者は、待たせておけません。同じ場面 → 九つの碗記録 → 旅の死者を故郷へ帰すこの世界では死んだ人には、心にあたる魂(こん)と、体に残る魄(はく)がある。魂が残るうちは「死者」で、鈴で呼べば応えて歩く。魂が抜けて魄だけになると「屍」で、人を襲う。基本 → 死者と屍をたしかめるだけでございました。
十八日目の夕方、五人目が港から運ばれて来ました。林天保(りんてんぽう)という、李家郷の紙問屋の若い番頭でございました。阿澄が五つの名を同じ頁へ並べ、張が二十貫の包みを義荘へ持って来た時、梁老人は初めて、今夜出る、と申しました。
その夜、阿澄は草鞋三十足を、五つずつ六束に分けました。最初の五足は、死者の足へ結ぶ分でございます。残りの二十五足は、夜ごと替えるため、梁老人の背負う籠へ納めます。青い糸のついた文達の古い草鞋を外すと、麻は海水に洗われたように白く、糸だけが薄い青で残りました。阿澄はそれを捨てず、義荘の門のそばの甕(かめ)18義荘の門の甕は、死者の古い履物を納める甕です。捨てれば拾う者があり、焼けば持ち主の家が嫌う。甕に入れて、年に一度、清明の日に義荘がまとめて焼きます。へ入れました。そして文達には、ほかの四人と同じ、何の印もない新しい草鞋を履かせました。
それから梁老人は、五人を一度だけ内庭へ出しました。出立前の鈴に、足がそろうかをみるためでございます。
とん、とん、とん、とん、とん。
最初の二度は、きれいにそろいました19草鞋を履いた死者の足音は、藁が土を打つ鈍い「とん」です。硬い体は足の裏全体で一度に地を打つので、生きた人の足音より短く低い。正規の一行が草鞋を惜しまないのは、足を守るためと、足音を柔らかくして人目を引かないためです。。三度目に、文達だけが半拍遅れました20鈴と足音の刻む間を、拍と呼びます。半拍の遅れは、鈴を打つ葬送師より、列の横で札を見ている道士が先に気づきます。遅れる死者の札は、鈴の前に端が震える。出立の前に一度内庭で足を合わせるのは、この震えを宿の中で見ておくためです。。四度目には、鈴より早く、その足が土を踏みました。
許道士は黙って文達の札を見ました。札の端が、息をするように震えていました。梁老人は鈴を止め、阿澄の方を見ました。
「帳面を持て。」
阿澄は震える手で開きました。文達の名の下には、一日目から十八日目まで、零が十八並んでいました。草鞋は一足も減っておりません。それでも文達は、海辺で待った十八夜を、その体のどこかで数えていたのでございます。
「このまま列へ入れれば、どうなります。」
阿澄は尋ねました。
「今夜のうちは、札に従うかもしれぬ。」梁老人は答えました。「だが雨か、野の気か、何か一つで拍を失う。魄(はく)が先に足を出せば21十八日待った文達は、あとから来た四人より魂が薄れていました。魂の抜け方は人によりますが、待つ日が長いほど薄れる。半拍の遅れの次に来るのが、魄が鈴より先に足を出すことです。一人の乱れは、同じ碗の拍につながる列の全員に移ります。同じ場面 → 九つの碗・揃わない列、ほかの四人も乱れる。」
張は、二貫の上に置いた掌を、さらに強くしました。
「封この世界ではすぐには送れない屍を、墨の線と札で蔵や棺に閉じ込めておくのが「封」。屍は雷でも火でも滅ぼせず、弱らせることしかできない。だから弱らせて封じ、銭がそろってから送る。基本 → 封には、その二貫が要るのですな。」
梁老人はうなずきました。棺を一晩借りること22封の一夜の二貫は、義荘の棺の借り賃が一晩八百文、札六枚(額に一枚、蓋の頭の側と四隅に五枚)で六百文、朱砂と墨で三百文、夜通し焚く線香と灯で三百文。封は、旅の中でいちばん高くつく一夜です。、新しい札、朱砂と墨、一夜焚き続ける線香と灯。それで二貫でございました。
「使えば、旅には何も残らぬ。」と張は申しました。「雨なら、六夜で着けぬかもしれない。札が破れたら、五人とも止めるほかない。」
阿澄は、帳面の三十足を見ました。草鞋を一足でも多く持てばよかった、と一瞬思いました。けれど草鞋は、遅れた拍をそろえません。
「張さん。」
阿澄は、零の続く欄を指で押さえました。
「これは、まだ使っていない銭でございます。でも、なくしてよい銭ではありません。雨の夜には、皆で濡れましょう。札が破れないよう、僕が籠を抱えて歩きます。けれど文達さんを、このまま数の中へ入れたら、帰る途中で五人とも止まります。」
張はすぐには答えませんでした。戸の向こうでは、町の犬が一度だけ鳴き、また黙りました。やがて張は、二貫を梁老人の前へ押し出しました。
「使いなさい。今夜は、五人を送るためでなく、文達ひとりを送れる者にするためだ。」
梁老人は、底と四方に墨線を打っておいた棺へ、文達を入れました。鈴を低く鳴らし、碗(わん)の符水(ふすい)を文達の足もとへ注ぎました。文達の体は、倒れず、ただ、固い木から重い石へ変わるように沈みました23符水で沈めた死者は、足もとから重くなり、大人二人でも持ち上がりません。棺へ移すのは沈める前で、梁老人が先に文達を棺に入れたのはそのためです。夕方に鈴で起こせば、重みは足から抜けていきます。基本 → 碗の符水。梁老人は棺のふたにも墨線を打ちました24棺の封は、六面に線を打ちます。底と四方は死者を入れる前に、蓋は閉じてから。どの面も端から端まで途切れさせずに打ち、途中で糸を上げれば、そこが出口になります。同じ場面 → 封の家・二つに分かれた死者。一本、また一本、端まで途切れぬように。
許道士は新しい札を額へ結び、棺の蓋の頭の側と四隅に札を留めました。梁老人の墨線と、許道士の札とが、文達の強くなりかけた力を、棺の内へ押しとどめました。
阿澄は棺のそばで夜番をしました。線香を継ぐたび、煙が蓋の札の高さまで立ちました。雨雲が沖に見えましたが、降りませんでした。明け方、彼は帳面へ、文達――封、一夜、と書きました。その字のそばに、二貫、と書く時、筆の穂が少し割れました。

夕方、梁老人は棺を開けました。文達は生き返ったように軽くなったのではありません。札の下の顔は、前より白く、魂は蠟燭(ろうそく)の芯ほどに細いままでございました。梁老人が名を呼び、鈴を一度鳴らすと、文達はゆっくり起き上がりました。許道士は額の札を見てから、ほかの四人の列の末へ、文達を立たせました。
とん、とん、とん、とん、とん。
五人の足は、今度は鈴のあとに、同じ拍で落ちました。
阿澄は出立の日の欄に、五足、と書きました。梁老人の籠には、二十五足がありました。予備の銭は、もうございませんでした。
六夜の旅は、雨に追われることなく過ぎました。昼になると一行は、宿の戸の後ろや、道すじの義荘で休みました。阿澄は一夜履いた草鞋を五足ずつ外し、縄で縛って、背のもう一つの袋へ25履いた草鞋は道に捨てません。拾って履いた旅人が翌朝両足を揃えて起きた、という話が街道にいくつもあるからです。もっとも、その話をいちばん熱心に広めているのは草鞋屋です。納めました。それから次の夜の五足を結びました。一夜目の五足、二夜目の五足、と帳面に記すたび、梁老人の籠は軽くなり、阿澄の袋は少しずつ重くなってまいります。許道士は、濡れぬよう札を油紙に包み、梁老人は鈴を鳴らす前に、いつも文達の名を低く呼びました26習わしの理由鈴の前に名を呼ぶのは、その一打を誰に向けるかを先に決めるためです。魂の残る死者は、名で呼ばれてから鈴を聞くと、自分の足で応える。封を解いたばかりの文達は、魂と鈴の結びがほかの四人より細い。だから梁老人は毎夜、鈴より先に名を置きました。同じ場面 → 揃わない列。
一夜目が明けると、阿澄は使った五足を袋へ入れ、次の夜の五足を籠から出しました。そのあと籠に残るのは二十足でした。二夜目の朝には十五足、三夜目の朝には十足、四夜目の朝には五足となり、五夜目の朝、最後の五足を死者の足へ結ぶと、籠は空になりました。それが六夜目の草鞋でございました。数が減るほど、道は故郷に近づくのでございます。けれど籠が軽くなるほど、山で雨に足を止められた時に替えの草鞋はない、とも分かりました。阿澄は眠る時も、籠を枕のそばへ置きました。
四夜目、月のない峠で、文達の右の足が石に当たり、列の音が一つだけ鈍くなりました。阿澄は思わず籠へ手を入れましたが、梁老人は鈴を止めず、低く文達の名を呼びました。許道士は札の端を指で押さえました。文達は二つ目の音で、また列の拍へ戻りました。
「よく見ろ。」と梁老人は、歩きながら阿澄に申しました。「封は、帰るまでを楽にするものではない。帰るまで、こちらが気を抜かぬためのものだ。」
阿澄はうなずきました。帳面の二貫の欄を思いました。銭があれば、この峠で一夜を越すこともできたでしょう。阿澄は籠を胸へ引き寄せ、死者の足もとばかり見て歩きました。
五夜目の昼、宿の女主人は、死者を見ぬよう戸を閉め27習わしの理由宿の者が死者を見ないのは、怖いからだけではありません。生きた人に見られると、術はわずかに乱れます。戸の隙から覗くくらいで破れはしませんが、葬送師は次の鈴を一つ待つ。戸を閉めて粥だけを運ぶのは、宿の側の礼です。、二人へ粥を運んで来ました。阿澄が礼を言うと、女主人は戸の隙から、五足ずつそろえた草鞋だけを見ました。それから、小さな声で、あと一夜ですか、と尋ねました。阿澄が、はい、と答えると、女主人は何も言わず、粥の椀をもう一つ置きました。生きた者の分でございました。

六夜目の明け方、李家郷の家々の戸に、夢から覚めた者の灯28正規の一行は、死者の家へ使いを一日先に出して、着く日を知らせます。夢だけで知る家もありますが、夢は日を告げません。明け方に灯をともしていた家は、夢と使いの両方を受けた家です。同じ場面 → 揃わない列・二つに分かれた死者がともりました。梁老人と許道士は、まず殷の家へ入りました。棺の脇に立たせた殷の足もとの土へ碗の符水を注ぐと、屍は倒れ、家の者は待たせず棺へ納めました29術を解く家では、門の内に棺を出し、蓋を開けて待ちます。倒れた死者を棺へ納めるのは家の者の手で、葬送師は手を出さない。帰った者を家へ入れる最後の一歩は、家の者に譲るのが習いです。。女も石工も林天保も、それぞれの家の門で同じように術を解かれ30李家郷の五軒は、村の入口に近い家から回ります。一軒で解くたびに、残る者の足を鈴で整えてから次の門へ向かうので、奥の家ほど長く待つ。文達の家が最後になったのは、村のいちばん奥にあったからです。、それぞれの手で棺へ納められました。
最後に文達の家へ着いた時、妻は夜半に夫が門の外へ立つ夢を見た、と申しました。母は棺を用意して待っておりました。梁老人が棺の脇に立つ文達の足もとの土へ碗の符水を注ぐと、文達は何も言わずに倒れ、家の者はその体をすぐ棺へ受け取りました。阿澄が知っていた青い糸のことも、海を渡った日も、もう口にはできません。ただ、棺へ横たえられた時、その顔は、十八日間、海の方を向いていた時より、少しだけ遠い方を向いているようでございました。
文達の母は、棺の脇へ膝をつきました。妻は少し離れて立ち、文達の草鞋を見ておりました。阿澄は、青い糸の草鞋を義荘の甕へ残したことを、二人へ言いませんでした。それは帰らなかった物であり、帰った人の話に、わざわざ添えるべきものでもないと思ったのでございます。
その日のうちに、家の者たちは文達を故郷の土へ葬りました。許道士の札は外され、梁老人は鈴を伏せました31鈴を口を下にして置くのは、仕事の終わりの作法です。伏せた鈴は鳴りません。旅の途中で鈴を伏せるのは、送る相手を失ったときだけです。。戸の外には、使い終えた三十足の草鞋32履きつぶした旅の草鞋は、着いた家の戸の外に積み、三日置いてから焼きます。近所の者は、その高さで死者がどれだけ遠くから帰ったかを知る。三日のあいだ、草鞋を数えに来る子供が必ずいます。が、夜ごとの五足ずつ、ひそかに積まれておりました。阿澄はそれを見て、旅の六夜が、帳面の行よりも短く終わったことを、初めて不思議に思いました。
阿澄は帰りの籠を洗い、帳面の最後の頁を開きました。そこには、待機十八日、草鞋零。出立から六夜、毎夜五足。合せて三十足。予備二貫、封一夜、とございました。
義荘の門のそばの甕には、青い糸のついた古い一足が残っていることでございましょう。阿澄はそれを思いながら、帳面を静かに閉じました。鼻緒をほどいた時の、海水に冷えた麻の手触りが、まだ指に残っているようでございました。
この話は、研究所の設定をもとにした創作で、史実ではありません(短編集について)。