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研究所の創作 短編集

九つの碗

清の中ごろ(嘉慶のころ) / 四川、自流井の塩井から北の丘の村へ

つながる話 三十里(術が解けたとき、止まっていた日数ぶんの匂いが来る)・一本の線香(香の煙を糧にする死者)この世界の基本 香・水と匂い・義荘と土地の神・死者と屍・碗の符水・息と足の裏

本文の ◦ の印には、この世界の基本の短い説明が付いています。小さな番号は欄外解説で、その場面の決まりの細部や、ほかの話とのつながりを説明します。画面が狭いときは、印や番号を押すと開きます。この世界の基本

四川の自流井(じりゅうせい)という土地には、塩の井戸がいくつもございました。櫓(やぐら)の上に竹の管を吊り1自流井の塩井は、深い井戸の上に天車と呼ぶ木の櫓を組み、竹を継いだ長い筒を下ろして塩水を汲みます。筒の底には牛の皮の弁があり、引き上げると閉じて水を抱える。筒を巻き上げる車を、水牛が回します。、地の底から塩水を汲み上げるのでございます。汲み上げる車を回すのは水牛で、その牛の世話をしていたのが、冉老四(ぜんろうし)という男でございました。

老四は律儀な男でございました。牛の数を朝晩二度かぞえ、借りた銭は一文でも帳面につけ2魂の保ちは人によります。生前律儀だった者、帰りたい思いの強い者ほど長く保ち、香を絶やさなければ、魂の薄れ方はなお遅くなります。約した日に雨でも帰った男が三年保つのは、珍しくても不思議ではありません。この決まりの要 → 緡の長さ、家へ帰ると約した日には、雨でも必ず帰りました。その老四が、ある冬の風邪をこじらせて、井戸のそばの小屋で死んだのでございます。家は北へ五晩も歩いた丘の村3五晩の道の費えは、宿が四つ、香が一人一夜三本で十五本、草鞋が夜の数に一足を足して六足。それに葬送師と道士の手当てが夜ごとに付きます。日当から一文ずつでは、三年かかるのが道理です。同じ場面 → 草鞋の数にあり、送る銭はございませんでした。

井戸の仲間たちは、町の老いた葬送師(そうそうし)の秦(しん)に頼んで4塩井の義荘の預かり賃は一体一日十文で、仲間の竹筒から月の終わりにまとめて払います。三年で十一貫。日当から一文ずつ落とす銭では、預かり賃に追いつくのがやっとです。記録 → 旅の死者を故郷へ帰す、老四に術をかけてもらいました。故郷へ帰すまで、体の時を止めておくためでございます。老四は塩井の義荘この世界では義荘は、旅の死者を預かる町はずれの小屋。土地の神(土地公)は、死んだ人の魂を三日のあいだその土地に留めて預かり、故郷へ帰れなかった者たちも預かる。基本 → 義荘と土地の神(ぎそう)の奥に立てられ、額に札を結ばれて、仲間が銭を貯めるのを待つことになりました。仲間は日当が出るたびに一文ずつ、竹筒の箱へ落としました5塩井の仲間の積み立ての箱には錠が二つあり、鍵は仲間の年寄り二人が一本ずつ持ちます。箱を開けるのは二人が揃ったときだけ。一文ごとに、帳面にその者の名か丸を一つ記します。同じ場面 → 緡の長さ。義荘の番人は、老四の前に朝夕の香を欠かしませんでした。死者この世界では死んだ人には、心にあたる魂(こん)と、体に残る魄(はく)がある。魂が残るうちは「死者」で、鈴で呼べば応えて歩く。魂が抜けて魄だけになると「屍」で、人を襲う。基本 → 死者と屍は飯を食べず、香の煙この世界では死者は飯を食べず、香の煙を糧にする。煙は魂の残る死者の方へ折れて吸われ、吸う者がいなければまっすぐ昇る。香が絶えると、魂が早く薄れる。基本 → 香を糧にいたします。煙が絶えれば、魂は早く薄れてしまうのでございます。

そうして三年が過ぎました。塩の値の悪い年もあり、井戸が一つ崩れた年もございました。秦は春が来るたびに老四の前で鈴を鳴らし、返りを聞きました6預けた死者の返り(鳴らした鈴に死者の足音が応えること)は、年に一度、春に聞きます。義荘の番人は、その日だけ朝夕の香のほかに昼にも一本足す。返りに遅れが見えれば、銭の貯まるのを待たずに送る日を早めるか、封じるかを決めます。同じ場面 → 緡の長さ・半拍の鼓。三年目の秋、竹筒の箱がようやく重くなったとき、秦はもう一度鈴を鳴らしました。老四は鈴に遅れず、ほんのわずか肩を揺らして応えました。生きていたころ、牛を呼ばれて振り向くときと同じ揺れでございました。秦はうなずき、若い道士の牟(ぼう)を呼んで、旅の支度をさせたのでございます。

 *

さて、ここからは村の話でございます。

老四の妻の秀蘭(しゅうらん)は、そのとき五十を三つ越えておりました。三年前、夫の死を知らせる手紙が来た日に、秀蘭は泣けるだけ泣き、それから棺を一つ買いました。いつ帰ってもすぐ納められるようにと、杉の板を厚くしたものでございます。ところが、夫はなかなか帰りません。空の棺を納屋に寝かせておくのももったいないと、秀蘭は秋ごとにその中へ新米の俵を寝かせて7杉の厚板の棺は虫を寄せず湿りも通さないので、山の村では米びつ代わりにする家があります。米屋は死者の気の移った米を買いませんが、死者より先に寝た米は数に入れない、というのが村の理屈です。おりました。

ある晩、その秀蘭の夢に老四が立った8夢の死者が門の外に立って中へ入らないのは、体がまだ旅の途中にあるからです。夢を見た家は、その晩から門の脇に灯を一つ出し、着くまで消さない。頼みごとを告げられたら、それを済ませるのが家の最初の支度です。同じ場面 → 腰の草鞋・三十里のでございます。塩の白く吹いた仕事着のまま、門の外に立って、中へは入ってまいりません。

「明日の晩に着く」と、老四は申しました。それから、少し言いにくそうに付け足しました。「棺の米は、出しておいてくれ」

秀蘭が何か言おうとすると、老四は首を振って、もう一つだけ申しました。

「秦さんと牟さんには、腹いっぱい食わせてやってくれ。道中、二人は冷えた飯ばかりだ」

そこで目が覚めました。まだ鶏も鳴かぬ暗がりで、秀蘭はしばらく天井を見ておりました。泣こうと思えば泣けたのでございます。けれども、あの人は死んでまで人の飯の心配をしている、と思うと、口の端がどうしてもゆるんでしまいました。

夜が明けると、道の下から男の子が駆け上がってまいりました。秦が先に遣わした使いでございます。「今夜、着きます」と子どもは言い、息を切らして水を三杯飲みました。それを聞いたとたん、冉の家は、蜂の巣をつついたような騒ぎになったのでございます。

 *

まず棺でございます。息子の大柱(だいちゅう)が納屋から棺を引き出すと、中から新米の俵が四つ出てまいりました。俵を出し、棺を井戸端で洗い、布で拭いて日に当てます。杉の板からは、米の甘い匂い9杉の板は乾いても脂の匂いを長く持ち、中に寝かせた物の匂いを吸います。俵を三度の秋に寝かせた棺は、井戸端で洗っても米の甘い匂いが抜けない。その晩の庭の匂いのうちで、いちばん穏やかな匂いです。がいつまでも抜けませんでした。

納屋前の開いた棺から、大柱が新米の俵を抱え上げる。俵は棺の中の三つと合わせて四つ。縁側では秀蘭が白い衣を繕い、春妹が蒸籠を抱えて呼びかける。
三年待った朝、棺の中の米を出して帰郷の支度をする家族(想像図)

次に死装束でございます。秀蘭が三年前に縫っておいた白い衣は、長持(ながもち)の底で虫に一か所食われておりました。秀蘭は針を持ち、縁側で繕いにかかりました。繕いながら、ああ、あの人は左の袖ばかり擦り切らした人だった、と思い出し、目の奥が熱くなりかけたところへ、嫁の春妹(しゅんめい)が台所から呼びました。

「お義母さん、蒸籠(せいろ)が足りません」

四川の村の祝いと弔いには、九大碗(きゅうだいわん)という膳10九大碗は、四川の村の祝いと弔いに出す蒸し物の膳です。咸焼白は三枚肉を皮を下にして碗に並べ、梅干菜を詰めて蒸し、出すときに皿へ返す。祝いにも弔いにも、同じ九品が並びます。がございます。肉の粉蒸(こなむし)、豚の脂身を梅干菜(めいかんさい)と重ねた咸焼白(かんしょうはく)、甘い夾沙肉(きょうさにく)など、九つの碗(わん)をみな蒸して出すのでございます。蒸籠は一段や二段では間に合いません。秀蘭は針を衣に刺したまま、隣の家へ蒸籠を借りに11九大碗は一卓に九碗、十卓なら九十碗を一度に蒸します。蒸籠一段に碗が四つか五つなので、村の宴の卓の数は、借りられる蒸籠の数で決まる。貸す蒸籠の縁には、家の印が焼いてあります。走りました。

昼前には、親戚が三つの谷から集まってまいりました。東の谷の叔母は、生きた鶏を二羽、逆さに提げてまいりました。西の谷の従兄は、自分の家の腰掛けを六つ背負ってまいりました。みな、道すがら泣く支度をしてきた顔でございます。弔いの家に着いたら、門で声をあげて哭(な)くのが習い12弔いの家に着いた女は、門をくぐる前に声をあげて哭き、家の女が迎えて哭き合います。上手な哭き方には節がつく。ただ、哭く前に包丁を渡された者の作法は、その日の終わりまで延びることになります。でございました。

ところが、門をくぐった者には、秀蘭が次々と仕事を渡してしまうのでございます。叔母には包丁と青菜の籠、従兄には卓の置き場所、若い者には薪割りと水汲み。叔母は哭きかけた口のまま青菜を刻み、従兄は卓を三度置き直して、ようやく庭の真ん中に並べました。

線香は、村じゅうの家が一束ずつ持ってまいりました。三年待たせた分を今夜食べてもらおうと、誰もが思ったのでございましょう。庭の隅には線香の束が薪のように積み上がり、秀蘭はそれを見て、あの人が煙で咳きこまなければよいがと、本気で心配いたしました。

爆竹も集まりました。子どもたちは赤い紙の筒を手に、夜を待ちきれずにおりました。すると、昼過ぎに村へ着いたもう一人の使いが、それを見て慌てて申しました。「爆竹は、棺の蓋を閉めてからにしてください13弔いの爆竹は、帰った者を棺に納めたと村に知らせる音です。鳴らすのは子どもの役で、最初の一本に火を移すのは死者のいちばん若い孫。使いが止めたのは、鳴らす刻を棺の蓋のあとへずらしただけです。同じ場面 → 畦の一本道・元宵の儺。音で、鈴の拍が乱れます」子どもたちは筒を懐へしまい、しぶしぶ、けれど大事そうに、何度も懐の上から撫でておりました。

秀蘭は、日が傾くころ、ようやく一度だけ腰を下ろしました。泣くなら今だ、と思ったのでございます。けれども腰を下ろした先が、たまたま蒸籠の湯気の前でございました。湯気の向こうで春妹が、粉蒸肉の火はこれで足りるかと訊きます。秀蘭は立ち上がって蓋を少し持ち上げ、「あと線香一本」と答えました。泣くのは、また先になったのでございます。

 *

日が暮れると、村の者はみな道の上の辻へ出ました。提灯(ちょうちん)の白い灯が、坂に沿って並びます。犬はみな家の中へしまわれました14習わしの理由犬をしまうのは、犬の声が鈴の拍(鈴と死者の足音が刻む間)を乱すからです。町では葬送師が半里手前で低い鈴を鳴らして知らせますが、この村では使いの子どもが触れて回ります。この決まりの要 → 列ごっこ。ただ、老四がかわいがっていた黒い犬の阿黒(あこく)だけは、どうしても家に入ろうとしません。孫の小穂(しょうすい)が首を抱き、その口をやさしく手でふさいで、辻の端にしゃがんでおりました。

やがて、坂の下の闇から、鈴の音が上がってまいりました。

ちりん、と一つ。間を置いて、また一つ。

最初に見えたのは送り旗でございました15仲間や組合が先頭に掲げる旗は送り旗と呼び、死者の背に差す銘旌(名と郷を書いた細い旗)とは別の物です。ただ送り旗に名と郷が書いてあれば、銘旌の代わりになる。老四が背に旗を差していないのは、そのためです。同じ場面 → 腰の草鞋。紅い長い旗に、「塩井同仁送冉公老四帰里」と十一の字16送り旗も銘旌と同じく紅い布に白い字で書くのが本式で、字は胡粉を膠で溶いて書きます。十一字は、偶数を嫌う決まりに足さずに済む数。塩井の仲間の送り旗は、井戸の櫓に掛ける幟の布を裁ったものでした。が白く書いてあります。弔いの旗の字は偶数にしないもので、塩井の仲間の誰かが、指を折って数えて書いたのでございましょう。その旗の下を、秦が鈴を振りながら歩いてまいります。左の手には、符水(ふすい)の碗この世界では符水は、符を焼いた灰を井戸の水に溶いた水。生まれた土地の土に注ぐと術が解け、死者は倒れて眠る。碗を土に置くと符水が土へ通い、よその土では術が半端に解けるので、碗は土に置かない。基本 → 碗の符水がございました。

秦の後ろに、老四がおりました。

白くなった仕事着の上に粗い麻を羽織り、胸には塩井の仲間の木札17塩井の木札は、表に井戸の名を大きく、裏に郷を小さく焼きます。塩の町で死者の身元を尋ねる者は、郷より先に、どの井戸で働いたかを聞くからです。同じ場面 → 三十里・一本の線香(きふだ)を下げております。両の足を揃えて、鈴に合わせて跳ねてまいります。一つ跳ねるたびに、提灯の灯の中で影が縮み、また伸びました。その後ろを牟が、札の束を抱えて歩いておりました。

提灯が並ぶ夜道を、鈴と碗を持つ秦、右肩の下がった老四、旗竿と札束を持つ牟が進む。村人が道を空け、秀蘭が見つめ、子どもが黒犬の口を押さえる。
提灯の下、右肩の下がり方で夫を見分けた秀蘭(想像図)

秀蘭は、夫が跳ねてくるのを見て、泣くより先に、あっと小さく声をあげました。跳ねるたびに、右の肩がほんの少し下がる18天秤棒を右で担いだ人の肩の下がりは、跳ねるたびに、足の着く一瞬に出ます。塩井の担ぎ手は塩水の桶を一日に何十度も担ぐので、この癖は死んでも抜けません。この決まりの要 → 半拍の鼓のでございます。生きていたころ、天秤棒をいつも右で担いでいた人の癖でございました。

「あの人だ」と秀蘭は申しました。叔母も従兄も、それを聞いて、揃ってうなずきました。

阿黒が、小穂の手の中で鼻を鳴らしました。吠えはいたしません。ただ尾だけが、土を掃くように左右に揺れておりました。

秦は辻の手前で一行を止め、村の者に向かって、道の脇へ寄るよう頼みました。「足の裏この世界では屍は、生きた人の陽気(体の温み・気配)で人を見つける。陽気がいちばん多く出るのは息、次が足の裏。息を止めて足の裏を屍に向けなければ、屍にはそこにいる人が見えない。基本 → 息と足の裏を、あの人に向けて立たないでください」村の者は言われたとおり、横向きに、蟹のような足取りで道をあけました19習わしの理由横向きに立てば、足の裏は道の前後でなく脇を向き、死者の通る道に陽気を向けずに済みます。村の道は荷車一台ぶんの幅で、両側に人が並べば、死者の通る間は二尺ほど。村じゅうが蟹歩きになるのは、送る一行を迎える晩だけです。この決まりの要 → 吊り橋の拍。老四はその間を、鈴に合わせて、家の門まで跳ねてまいりました。

 *

庭には、洗った棺が口を開けて待っておりました。秦は老四をその脇に立たせ、碗を卓の上にいったん置きました20庭の卓は脚が土に立っていますが、板の面は土から離れているので、碗を置けます。土の上に据わった石段とは違う。解く前に碗をいったん置くのは、両手を空けて家の者に話すためで、話が済めばまた掌に取ります。同じ場面 → 畦の一本道。それから秀蘭を呼んで、静かに申しました。

「この水を庭の土に注げば、術が解けます。止まっていた三年分の匂いが、一度に来ますこの世界では死者は自分の足では水を越えられない。川は舟に青い札を留めて渡り、海は棺に納めて船で運ぶ。術のあいだは体の腐りが止まり、術が解けると、止まっていた日数ぶんの匂いが一度に出る。基本 → 水と匂い。すぐに棺へ納めてください。長く待った人ほど、重い匂いです」

秀蘭はうなずき、大柱と従兄に棺の両側へ立つよう言いました。それから、夫の前へ進み出ました。三年ぶりに見る夫の顔は、義荘の香の煙で少しいぶされ、額の札の下で、目を閉じておりました。秀蘭は仕事着の襟が片方だけ内へ折れているのを見つけて、それを直しました。

「おかえり」と、秀蘭は言いました。「待たせたのは、お互いさまだね」

秦が鈴を一つ鳴らし、碗を傾けました。符水は細い筋になって、老四の足もとの土へ落ちました。家の庭の土、老四が子どものころに裸足で走った土でございます。

老四の体が、ふっと前へ傾きました。大柱と従兄がそれを受け止めた、その瞬間でございます。

匂いが来たのでございます。

三年分の匂いは、夜の庭をひと息に満たしました21三年ぶんの匂いは地を這うように広がり、提灯の火まで揺らします。夜の庭なら半刻ほどで薄れる。塩井の死者の匂いには塩水の匂いがかすかに混じる、と塩の町の葬送師は言います。この決まりの要 → 三十里記録 → 趕屍の記録を読む。叔母は青菜の籠を取り落とし、若い者は二、三人、門の外まで下がりました。提灯の灯まで、一度揺れたように見えました。けれども、秀蘭は下がりませんでした。夫の肩を下から支え、棺の中へ寝かせるのを手伝いました。牟が札を解き、秦に手を添えられて、大柱が揃えた両足の紐を解きました。秀蘭は重い匂いの中に、ほんの少し、塩井の塩水の匂いを嗅いだように思いました。

蓋が閉まりました。大柱が釘を打つ音が、四つ鳴りました22帰り着いた晩に打つ棺の釘は、蓋の四隅の四本です。真ん中の一本は子孫の釘と呼び、出棺の朝に長男が打つ。それまで打たずに残すのは、家の者の手で送り出すのを最後の仕事にするためです。。

すると、待ちかねていた子どもたちが、懐から爆竹を取り出したのでございます。秦がうなずくと、小穂が一本目に火を移しました。

ぱん、ぱぱぱん、と赤い紙が庭じゅうに跳ねました。硝煙の匂いが、重い匂いを押し流していきます。台所の蒸籠からは、花椒(かしょう)と脂の匂いの湯気23九大碗の蒸し物は、花椒を振り、脂を碗の底に溜めて蒸します。蓋を上げたときの湯気は、舌の痺れる香りと豚の脂で重い。爆竹の硝煙と線香と混ざって、庭はようやく宴の匂いになります。がもうもうと上がり、庭の隅では、線香の山にいっせいに火が入りました。阿黒は小穂の手を離れ、棺の脇へ行って、そこへ腹をつけて寝そべりました。もう、そこを動こうとはいたしませんでした。

 *

九大碗の膳が並んだのは、夜も更けてからでございます。秀蘭は、秦と牟を上座に座らせました。夢で頼まれたことでございますから、これだけは譲りません。

牟は若い道士で、旅のあいだは宿の冷や飯と漬物ばかりでございました。一行の宿では、泊まるのは三人でも、食べるのは二人でございます。その二人の分さえ、送り賃を切り詰めるために、たいてい粗末なものでございました。その牟の前に、粉蒸肉の碗、咸焼白の碗、夾沙肉の碗が、湯気を立てて次々と置かれていきます。牟は箸を持ったまま、しばらく何から手をつけてよいか分からずにおりました。秦は黙って、自分の碗の脂身を一切れ、牟の碗へ移してやりました。

九つの料理碗を囲む宴席で、秦が牟の取り碗へ脂身を箸で移す。二人の取り碗を合わせて卓上は十一碗。親族は笑い、涙を拭い、庭の閉じた棺の脇に黒犬が伏せる。
帰郷の夜、秦から牟へ渡される脂身の一切れ(想像図)

叔母は、昼に哭きそこねた分を取り返すように、老四の若いころの話を始めました。牛に尻を突かれて田へ落ちた話、婚礼の晩に爆竹の音で腰を抜かした話。卓のあちこちで笑い声が上がり、笑いながら目を拭く者もございました。泣くのと笑うのとが、同じ卓の上で、湯気といっしょに混じり合っておりました。

膳の終わりに、秦は懐から一冊の薄い帳面を出しました。三年のあいだ、竹筒の箱へ一文ずつ落とした塩井の仲間の名が、そこに並んでおりました。字の書けない者は、丸を一つ描いてありました24帳面の丸は、字の書けない者の名の代わりです。丸の大きさや閉じ方は人ごとに違い、帳場の者は丸で誰の一文かを見分ける。塩井の仲間の帳面では、丸が名より多いのはふつうのことです。。丸は、名よりも多うございました。

秀蘭はその帳面を、長いこと両手で持っておりました。それから台所へ行き、棺から出した新米の俵のうち一つをほどいて、枡(ます)で量りはじめました。大柱も春妹も、何をするのか尋ねませんでした。秀蘭は量った米を、秦に託すつもりでございました。塩井の義荘には、まだ立って待っている者がいるはずでございます。

叔母が、自分の鶏の代もそこへ足せと言いました。従兄は腰掛けの一つを売ると言い出して、それは皆に止められました。

 *

明くる朝、秦と牟は、葬式の法事のために三日のあいだ村に留まることになりました。三日のあいだ、九つの碗は毎晩並びました。牟の頰が、目に見えてふっくらした25送る一行の道士の謝礼に、着いた家での飯は入っていません。法事のあいだ九大碗が出るのは家の礼で、帳面の外です。若い道士の肥え方は、送った道の遠さより、着いた家の蒸籠の数で決まります。と村の者は申しております。

法事が済み、老四が故郷の土に葬られた日の夕方、秀蘭はようやく一人で、墓の前に座りました。三年前から取っておいた涙を、今こそ流そうと思ったのでございます。

けれども、墓の土の上に、阿黒が先に来て寝そべっておりました。秀蘭が座ると、犬は尾で土を二度掃きました。夫が牛を呼ぶとき、柵を二度たたいた音に、それはよく似ておりました。

秀蘭は泣きました。泣きながら、どうしたわけか笑ってもおりました。どちらが先だったか、あとで春妹に訊かれても、秀蘭にはとうとう分からなかったのでございます。

丘の下の家では、蒸籠の湯気がまだ細く上がっておりました。秦が塩井へ持ち帰る米の袋は、軒下で、ひと晩かけて口を縫い閉じられるのを待っておりました。

この話は、研究所の設定をもとにした創作で、史実ではありません(短編集について)。