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研究所の創作 短編集

緡(さし)の長さ

太平天国の乱のころ / 安徽の町の義荘

つながる話 封の家(送る銭が貯まるまで、封じて待つ町)・杖の間(義荘で三年待つうちに、魂の抜けた死者)この世界の基本 死者と屍・銭・封・義荘と土地の神・鈴と拍・香

本文の ◦ の印には、この世界の基本の短い説明が付いています。小さな番号は欄外解説で、その場面の決まりの細部や、ほかの話とのつながりを説明します。画面が狭いときは、印や番号を押すと開きます。この世界の基本

咸豊(かんぽう)のはじめ、長江の南の岸では、長毛(ちょうもう)と呼ばれた軍と官の軍とが、幾度も同じ城を取ったり取られたりしておりました。岸から一日ほど北へ入ったその町には、南から逃げてきた人が、毎日のように街道を上ってまいりました。背に鍋を負った者、子を抱いた者、片方の足を布で巻いた者。その中の幾人かは、町へ着いたところで歩くのをやめ、それきり起きませんでした。

町の外れの義荘この世界では義荘は、旅の死者を預かる町はずれの小屋。土地の神(土地公)は、死んだ人の魂を三日のあいだその土地に留めて預かり、故郷へ帰れなかった者たちも預かる。基本 → 義荘と土地の神(ぎそう)は、秋のうちに土間が埋まりました。死者この世界では死んだ人には、心にあたる魂(こん)と、体に残る魄(はく)がある。魂が残るうちは「死者」で、鈴で呼べば応えて歩く。魂が抜けて魄だけになると「屍」で、人を襲う。基本 → 死者と屍の数は十一人でございます。そのうち、名と郷(さと)が分かるのは三人だけでした。名の無い者には、送る先がございません。町の者は八人を義塚(ぎちょう)の土に仮に埋め1義塚(名も郷も分からない死者を仮に葬る共有の墓)は、町の墓地の外れ、義荘に近い側にあります。仮に埋めるのは、いつか名の知れる日のためで、土饅頭には番号の木の墓標を立て、義荘の帳面に着いた日と着物の色を書き留めておく。名が知れれば掘り出して送りますが、その日の来た話は多くありません。同じ場面 → 封の家記録 → 旅の死者を故郷へ帰す、葬送師の晏(あん)老人が、その土饅頭のまわりに墨の線を打ち2土饅頭一つを囲う線はおよそ十五尺、八つで百二十尺。雄鶏一羽の血で線は百尺ほどなので、鶏は二羽要ります。土の上の線は雨季を一つ越すと効きが落ち、毎年引き直します。同じ場面 → 封の家・一度きりの雷、卜(ぼく)が線の端に札を留めました。合わぬ土に埋めた死者がやがて育つことは、誰でも知っております。けれども、ほかに置く所がなかったのでございます。

残る三人は、戸の脇に立てられておりました。額には道士の卜が書いた札が結ばれ、両足は麻の紐で揃えてあります。朝夕、晏老人が鈴この世界では葬送師が鈴を鳴らすと、魂の残る死者は呼びかけに応えて自分で跳ぶ。鈴と足音が刻むリズムが「拍」。足音で鈴に応えるのが「返り」で、返りが夜ごとに遅れてゆけば、魄が強まった印。基本 → 鈴と拍を鳴らし、義荘の者が一本ずつ香を焚この世界では死者は飯を食べず、香の煙を糧にする。煙は魂の残る死者の方へ折れて吸われ、吸う者がいなければまっすぐ昇る。香が絶えると、魂が早く薄れる。基本 → 香きました。その香も、寄進で買うもの3義荘で待つ死者の香は義荘が焚き、寄付と預かり賃で賄います。朝夕に一本ずつなら一日二本で、旅の一夜三本より少ない。待つ死者の香の数は、義荘の懐で決まります。同じ場面 → 杖の間・草鞋の数でございます。

一人目は、阿福(あふく)という十四の荷担ぎでした。西の六安(りくあん)の山の子で、ここから四晩の道でございます。死んで五日、まだ肌に艶がございました。右の肩だけが、天秤棒(てんびんぼう)の当たるところで固く盛り上がっております。熱に倒れる前の晩、義荘の軒下で、六安の山は今ごろ栗が落ちる、と誰にともなく話していたそうでございます。同じ村から逃げた男の話では、村は焼けて、家の者の行方は知れぬということでした。

二人目は、鄭(てい)という江西の職人でした。瓷器(じき)に絵を付ける人で、指の腹に、落ちない青い色4絵付けの青は呉須の粉を水で溶いたもので、指の腹の皺に入ると洗っても落ちません。窯町で死ぬ出稼ぎの送り賃は窯の組合が出しますが、町を離れて死んだ者には、組合の銭が届きません。同じ場面 → 列ごっこが残っております。袖の中には、娘が拙い字で書いた手紙が一通入っておりました。父の帰る日を尋ねる、短い手紙でございます。江西へ帰すには、長江を渡らねばなりません。舟べりに留める青い札の代5町の渡し守は、死者を乗せる舟を一艘だけ別に持ち、舳先に藍の布を結んで見分けます。長江を渡すその舟の賃に青い札(水を渡るための札。船べりの四隅に留める)の代を足すと、鄭一人を江西へ帰す道の、草鞋代より多くなりました。同じ場面 → 一本の線香・三十里が、そのぶん要りました。

三人目は、梅(ばい)という湖北の女でした。この町へ着いたとき、もう息はございませんでした。夫は兵に取られ、行方が知れません。死んでから、二十日が過ぎておりました。

そのころ町では、夜になると義荘の前の犬がよく吠えました6犬は死者の列だけでなく、魄の強まってきた屍の気にも吠えます。義荘の番人にとって、夜ごとに続く犬の声は、墨の線を見回り、引き直しの支度をする合図です。同じ場面 → 揃わない列。吠え声が止むと、今度は人の噂が始まります。義塚の土が少し沈んだ、夜中に義荘の戸が鳴った、と申すのでございます。確かめた者はおりません。けれども、帰れない死者を町に置いておけば、いつかは確かめねばならぬことになる。それも、誰もが知っておりました。

町の有志が銭を寄せたのは、十月の初めでございます。米屋が出し、渡し守が出し、質屋の女主人が出しました7有志の頭に立つのは、逃げて来た人の懐を知っている商いです。米屋は米を売り、質屋は持ち物を預かり、渡し守は川を渡す。逃げて来た人の銭がどこへ流れたかを町でいちばんよく知っている三人が、まず出し、あとの者はそれを見て出します。。逃げてきた人たちも、懐の底から一枚、二枚と出しました。銅銭を紐に通した緡(さし)8緡は百文ごとに結び目を作り、十の結びで一貫、千文。町の帳場では枚数を数えず、結びの数と長さで受け取ります。九百八十文で一貫と数える町では、足りない二十文を紐代と呼びます。同じ場面 → 草鞋の数が、米屋の帳場の卓に並びました。しめて十二貫と少し。緡を一本持ち上げると、掌に、湿った銅の冷たさ9懐で温まった銅銭は、手の脂と汗で緑青を吹き、酸っぱい金気の匂いがします。寄進の緡を数えた帳場の者の指は、夕方には青く染まっています。と、人の懐の温みとが、半分ずつ残りました。それが、一人を送る旅の代この世界では死者を故郷へ送るには銭がかかる。払える額で、正規の組か、潜り(正規でない安い組)か、その夜だけ雇う術者かが決まる。官服を着た死者は、自分で送る代を払える者。基本 → 銭でございました。

秋の米屋の帳場に銅銭の緡が並ぶ。主人が一本を持ち上げ、質屋の女主人が向かいに座り、逃げてきた人が銅銭を差し出す。晏老人と卜が卓のそばに立つ。
一人を送るための銭が、米屋の帳場に集まる(想像図)

送る旅には、葬送師と道士の二人が要ります。二人の謝礼、夜ごとの宿、道々焚く香、死者のはきつぶす草鞋(わらじ)。行き先が同じなら、二人でも三人でも同じ旅で連れて行けます。けれども三人の郷は、西と、南と、もっと西とに分かれておりました。

米屋の主人は、阿福を、と申しました。四晩なら道も確かで、戦の年の相場でも八貫で済む10戦の年は、送る二人の謝礼が平時の倍になります。米屋の主人の八貫は阿福の四晩の道の見積もりで、謝礼五貫、宿と飯と香で一貫五百文、草鞋五足で五百文、送った二人の帰り道の宿と飯で一貫あまりです。同じ場面 → 揃わない列。残る銭で、あとの二人を棺に納めて封この世界ではすぐには送れない屍を、墨の線と札で蔵や棺に閉じ込めておくのが「封」。屍は雷でも火でも滅ぼせず、弱らせることしかできない。だから弱らせて封じ、銭がそろってから送る。基本 → 封じられる。町のためにも、それがいちばん危なくない。

質屋の女主人は、鄭を、と申しました。待っている者がいる。死者は着く前の夜、家の者の夢に出るという。夢を見ても、誰も戸口に来なければ、あの娘はどうなるのか。

逃げてきた人の中からも、声がいたしました。帰れる見込みのいちばん少ない者を先に、と申す者がありました。帰れる見込みのいちばん多い者を先に、と申す者もありました。どちらも、言ったあとで黙りました。自分がここで死んだら、どちらの言い分で数えられるのか、と思ったのでございましょう。

晏老人は、どの声にも答えませんでした。その晩、義荘へ行き、三人の前で鈴を一つ鳴らしました11送る順を決めるとき、葬送師は鈴を一つだけ鳴らし、並べた死者の返りを一度に聞きます。二度三度と鳴らせば、遅れた者の足が前の音に引かれて、差が縮んで聞こえるからです。同じ場面 → 封の家・半拍の鼓。

阿福の足は、音と一緒に土間を打ちました。ほんの少し揺らいで、それがかえって、生き物の拍でございました。鄭の足は、それより一息だけ遅れました。梅の足は、晏老人が二度目の鈴を鳴らそうとしたころ、ようやく下りました。老人は梅の前に身をかがめ、しばらく鼻を寄せておりました。札の下から、止まっていたはずの匂いが、糸のように細く戻っておりました12戻り(術で止まっていた腐りが、術が緩んで戻り始めること)の匂いは、はじめ糸のように細い。夜気の冷える明け方にいちばん分かり、昼の暖かい土間では香の煙に紛れます。同じ場面 → 一筆・行き違い。

魂が残っているあいだでなければ、死者は歩いて帰れません。抜けきってしまえば、あとは棺に納め、人夫を雇って担がせるほかございません。棺一つに人夫が四人、替わりを入れて六人、それを湖北まで。戦の年は人夫が兵に取られて、担ぎ賃は平時の倍でございます。町が幾年寄せても届かぬ額でございました。

卜は戸口で香の減り具合を見ておりました13三人の前に一本ずつ立てた香を戸口から見れば、どの煙が深く折れ、どの煙がまっすぐに近いかで、鈴を鳴らさずとも順は分かります。老人が鈴で測るあいだ、卜は煙で同じものを測っていました。同じ場面 → 一本の線香・揃いすぎる列が、老人が身を起こすと、低い声で、どれを選んでも間違いではない、と申しました。晏老人は、それが慰めにならぬことを知っておりました。どれを選んでも間違いでないのなら、どれを選ばなくても、間違いではないのでございます。

翌朝、晏老人は米屋の帳場で、梅を送る、と申しました。

米屋の主人は、それ以上は申しませんでした。質屋の女主人は、黙って帰りました。誰も、老人のほうが間違っているとは言いませんでした。老人のほうでも、二人が間違っているとは思っておりませんでした。

送り出す前に、残る二人を封じなければなりません。葬送師も道士も町を離れれば、鈴を鳴らす者も札を見る者もいなくなります。立てたまま置いて行くことは14封じて置いて行く棺は、義荘の番人が朝夕に見回ります。番人は線にも札にも手を触れず、見回った日を帳面に書き付けておくだけ。直すのは、戻った葬送師と道士です。同じ場面 → 封の家、できないのでございます。

新しい棺は、戦のせいで町に一つもございませんでした。晏老人は義荘の奥から、古い棺を二つ引き出して、自分で板の割れを継ぎました15封じる棺の板の割れは、漆でなく膠と麻布で継ぎ、継ぎ目の上から墨の線を重ねて打ちます。割れ目は線が途切れやすく、そこが屍の出口になるからです。同じ場面 → 一度きりの雷。阿福を納めるとき、足の紐はそのままにいたしました16封じて待つ死者の結びは、帰り着くまで解きません。棺に納めるときは、紐の端を踝の外で一巻き余らせておき、解く家の者の指がかかるようにします。同じ場面 → 一筆。家の者の手で納めるときに解くものだからでございます。抱え上げると、子どもの体は軽く、盛り上がった右の肩だけが、老人の腕に固く当たりました。鄭の棺には、娘の手紙を袖に入れたまま納めました。老人は棺の六面に墨の線を打ち、卜が蓋の頭の側と四隅に封の札を留めました17封の札は蓋の頭の側に一枚、四隅に四枚で、棺一つに五枚。一枚百文で、二つの棺に一貫、朱砂と墨に四百文あまり。古い棺を自分で継げば、借り賃の一晩八百文は要りません。同じ場面 → 草鞋の数・封の家。

封じれば、止まっていた時が蓋の内でまた流れはじめることを、晏老人も卜も、よく知っておりました。

発つ晩、晏老人は梅の前に立ち、碗(わん)の符水(ふすい)を棚から取りました。鈴を一つ鳴らします。梅の足が、遅れて下りました。

そのとき、奥の棺の中で、小さな音が一ついたしました。板の内側を、足の裏で軽く打ったような音でございました。

老人は二つ目の鈴を鳴らしませんでした18習わしの理由鈴は呼ぶ音です。呼ばれて応えた死者をその場に置いて行くことを、葬送師はしません。封じた棺の中の阿福が鈴に応えるあいだは、義荘の前で鈴を鳴らせば、呼んだことになる。だから晏老人は、棺の音の届かぬ所まで、鈴を鳴らさずに歩きました。町の中で鈴を控える習いは犬のためですが、この半里は、置いて行く者のためのものです。同じ場面 → 杖の間。鈴を懐に入れ、空いた手で梅の手を引いて戸を出、義荘の塀を過ぎ、柳の並んだ堤を過ぎ、町の灯が見えなくなるところまで、黙って歩きました。卜は後ろで札の箱を抱え、何も尋ねませんでした。二つ目の鈴が鳴ったのは、半里ほど先の、田の真ん中でございました。

夜の義荘から、晏老人が右手に鈴を持ち、左手で梅の手を引いて出る。卜が札の箱を抱えて続き、戸の内には封じた棺が二つ残る。
二つ目の鈴を鳴らさず、梅の手を引いて義荘を出る晏老人(想像図)

旅は十三晩かかりました。焼けた村を三つ過ぎ、兵の篝火(かがりび)を二度よけました。畑の畦には、名も知れぬ死者が、葬られもせずに伏しておりました。鈴の音が近づくと、その幾つかは、指の先だけを音の方へ向けたように見えました。晏老人は撒く紙を惜しまず19戦の年の道ばたには葬られない死者が多く、撒く紙(紙銭。道ばたに残った者への通り賃)は平年の倍でも足りません。止まれば、その一人一人の前で、また選ぶことになる。晏老人が足を止めずに撒き続けたのは、そのためです。同じ場面 → 一筆・六枚目の札、足も止めませんでした。止まれば、その一人一人の前で、また選ばねばならなかったからでございます。梅の拍は夜ごとに遅れ、晏老人は香を、決めた数より一本ずつ多く焚きました20拍(鈴と足音が刻む間)の遅れる死者には、宵・夜半・明け方の三本に一本を足して焚きます。足した一本の代は帳面の香の欄に入れず、葬送師が自分の謝礼から出す。十三晩で十三本、五十二文です。同じ場面 → 一本の線香・三十里。その分の銭は、自分の謝礼から出しました。

梅の村は、半分が空き家になっておりました。ただ、井戸の脇に住む年寄りの女が、梅の顔を見て名を呼びました。女は夢を見ていたのでございます。梅の家の畑の隅に穴が掘られ、晏老人が梅の足もとの土に符水を注ぐと、梅は膝から崩れました。二十日と十三晩の匂いが、一度に来ました。年寄りの女は袖で口を押さえもせず、梅の足の紐を解きました。

町へ戻ったのは、冬至の少し前でございました。

封はよく保っておりました21封の保ちは、墨の線の途切れと札の角の反りで見ます。線は一つの雨季、札は一年保つ。ひと冬の留守なら、封は手入れなしでも崩れません。同じ場面 → 封の家・反る札。墨の線に途切れは無く、札の角も反ってはおりません。晏老人は二つの棺の前に立ち、鈴を一つ鳴らしました。

鄭の棺からは、何も返りませんでした22封じた棺は、蓋に耳を寄せて鈴を一つ鳴らし、板を打つ音が返るかで内を測ります。魂の残るうちは返り、抜ければ返らない。返っても鈴と揃わないのは、魂が薄れて結びが緩んだ印で、その次に来るのは、返らない日です。同じ場面 → 杖の間・封の棺。阿福の棺からは、しばらくして、音が一つ返りました。鈴とは、もう揃っておりませんでした。

春になって、有志はまた銭を寄せました。戦は北へ広がり、米の値は上がっておりましたが、町の者はそれでも、秋と同じだけの額を寄せたのでございます。米屋の主人は、清明(せいめい)の前に23会館や善堂が死者をまとめて送り出すのは、清明と冬至の前です。道の宿も渡しも、その季節には送る一行を待って支度を整え、空き棺の借り賃も上がります。同じ場面 → 草鞋の数記録 → 旅の死者を故郷へ帰す阿福を送ってやりたい、と申しました。

晏老人は首を振りました。その日の朝、義荘で鳴らした鈴に、阿福の棺はとうとう何も返さなかったのでございます。封の隙からは、年を越した匂いが24封じた棺は術の外にあるので、内の時は止まりません。封の内には年月ぶんの匂いがこもり、線と札が保っていても、蓋の合わせ目から薄く漏れる。義荘の番人は、その匂いで封の年数を言い当てます。同じ場面 → 封の棺・杖の間、薄く漏れておりました。もう歩いては帰れません。その銭は、墨と、書き改める札25封の札は立春に書き改め、墨の線は雨季の前に引き直します。義塚の八つの土饅頭を囲う線も同じです。封が一つ増えるたび、町の帳面には、毎年の墨と札の欄が一つ増えます。同じ場面 → 封の家と、義塚の八人の線を引き直す代に回されました。

質屋の女主人は、鄭の棺の前に香を一本立てて帰りました26習わしの理由香の煙を糧にするのは魂で、抜けたあとの棺に立てる香は、死者には届きません。それでも一本立てるのは、送れなかった側の礼だからです。義荘の番人はそれを止めず、帳面の香の欄にも入れません。。袖の中の手紙に返事を書く者は、どこにもおりませんでした。

米屋の帳場の卓には、寄せられた緡が並んでおりました。晏老人は、墨の代を数える前に、それをしばらく見ておりました。

緡は、去年の秋と、ちょうど同じ長さでございました。

この話は、研究所の設定をもとにした創作で、史実ではありません(短編集について)。