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研究所の創作 短編集

封の棺

2008 年 / 湘西の川港の町と、江西の窯町の奥の村

同じ人 碗の跡(坂の上の龍老人の最後の送りと、北の丘)・鈴の箱(上流の村に帰ってきた鈴)・土地廟のない村(十六年後の月英と福祥。祖父の帳面)この世界の基本 封・育つ・死者と屍・送る二人・香・碗の符水

本文の ◦ の印には、この世界の基本の短い説明が付いています。小さな番号は欄外解説で、その場面の決まりの細部や、ほかの話とのつながりを説明します。画面が狭いときは、印や番号を押すと開きます。この世界の基本

長距離バスは、川沿いの新しい道を下りてきて、町の手前で一度止まった。窓の外に、黄色い重機が三台並んでいた1古い会館や義荘を壊すと、ときどき封の切れかけた棺が出てきます。どちらも、もとは送り出しを待つ棺を置く建物だったので、蔵や奥の間に何が残っているかは、壊すまで誰にも分からない。工事の囲いが立つと、町の年寄りはまず道士の家の名を思い出します。封の切れた棺は、たいてい奥の蔵のいちばん暗い壁ぎわにあります。同じ場面 → 封の家記録 → 旅の死者を故郷へ帰す。首を垂れたまま動かない。その向こうに、瓦の落ちた古い屋根が一つ残っていた。

覃(たん)月英(げつえい)は膝の上の鞄を抱え直した。省都の印刷所で色の校正をして九年になる。紙の匂いと、刷りたてのインクの匂いには慣れている。バスの中は、みかんの皮と軽油の匂いがした。

叔父の覃福祥(ふくしょう)から電話があったのは、おとといの夜だった。腰がいけない、手を貸せ、と言った。それ以上は言わなかった。覃家は道士この世界では死者を送るのは二人組。前を歩く葬送師は、鈴で死者を呼び、碗の符水で眠らせ、墨斗で屍を止める線を打つ。後ろを歩く道士は、札で死者を結び、屍を封じ、雷で弱らせる。基本 → 送る二人の家だ。月英の祖父も、その父も、葬式の法事で暮らしてきた。月英は十八で町を出てから、清明と正月にしか帰っていない。

バスを降りると、川の匂いがした。泥と、油と、どこかで焼いている唐辛子の匂いだ。船着き場の石段は半分がコンクリートで埋められて、上に携帯電話の店と、麻雀の卓を並べた茶館が建っていた。石段の残りの半分は、昔のまま、真ん中が人の足で丸く凹んでいる。

叔父の家は坂の上にある。昔、龍(りゅう)という年寄りの葬送師が住んでいた家の、三軒となりだと聞いたことがある。その家はもう無い。

叔父は籐の椅子に斜めに座っていた。右の腰に、湿布が二枚、重ねて貼ってあった。

「立てんことはない」と叔父は言った。「屈めんのだ」

机の上に、黄の竹紙が一重ねと、朱の入った小皿と、筆が三本並んでいた。月英は、それを見ただけで、何の用か半分は分かった。

 *

話は二日前にさかのぼる。

川べりの旧い会館を壊している会社の、現場の責任者が、叔父を訪ねてきた。鄒(すう)という四十過ぎの男で、泥のついた作業靴を、玄関で脱ごうか脱ぐまいか迷ってから脱いだ。

会館は、清の末に、江西から来た商人たちが建てたものだった。そのあと穀物の倉になり、倉が閉じてからは二十年近く、誰も入らなかった。表の建物を崩して、奥の蔵に取りかかったところで、作業員が棺を一つ見つけた。蔵のいちばん奥の、壁ぎわの台の上に載っていた。

「それだけなら、役所に届けて片づけます」と鄒は言ったそうだ。「ただ、夜番の者が、あれが鳴ると言いまして」

重機が表の壁を押したあたりから、鳴りだした2封の札は、屍を棺の内に閉じる札です。けれども墨の線と札が棺に留まっていてはじめて効くので、棺ごと揺すられると、札の糊の縁から少しずつ緩みます。重機が壁を押すたびに蔵の床が震え、古い封が緩みました。起きかけた屍は、夜の静かなうちに板を内から打ちます。昼でも、生きた人が蔵に入って陽気が近づけば打つ。間を長く置いて三つが起きかけの打ち方で、その間が詰まってきたら、もう封では保ちません。同じ場面 → 撿骨の日。夜中に、板の内側を指の節で叩くような音が、間を置いて三つ。夜番は二晩で辞めた。昼の作業員も、蔵の半分から先へ入らない。工事は止めたくない。年内に基礎を打たないと、会社の払いが狂う。町の年寄りに聞いたら、こういうことは覃さんのところだ、と言われた。

「法事の謝礼として、お払いします」と鄒は言った。「要るものは言ってください」

叔父は引き受けた。引き受けてから、自分の腰では蔵の床にしゃがめないことに気づいた。

 *

あくる朝、月英は叔父を三輪タクシーに乗せて、川べりへ下りた。

蔵は、表の建物の瓦礫の奥に、黒く残っていた。窓が高く、戸口は一つしかない。昔の人が、封この世界ではすぐには送れない屍を、墨の線と札で蔵や棺に閉じ込めておくのが「封」。屍は雷でも火でも滅ぼせず、弱らせることしかできない。だから弱らせて封じ、銭がそろってから送る。基本 → 封じたものを置くために選んだ造りだと叔父は言った。戸を開けると、冷えた埃と、古い籾殻の匂いがした。その底に、何か甘く重いもの3長く封じた屍の匂いは、ふつうは乾いています。腐りはとうに済み、閉め切った部屋のような匂いが残るだけです。そこへ熟れすぎた果物のような甘さが混じるのは、魄が起きかけている印。線と札を新しくすると甘さが先に引き、乾いた匂いだけが残ります。封の内の匂いは、戸口の隙より床に近い所に溜まります。同じ場面 → 匂いの関・封の家が、薄く混じっていた。

壁に、白い塗料で大きな字が書いてあった。穀物を大事にせよ、という古い標語だった。字の下半分は、湿気で剥げていた。床には、破れた麻袋が幾つか、平たく潰れて残っていた。倉だったころ、この棺は麻袋の山の奥に隠れていたのだろう、と叔父は言った。誰も奥まで積み下ろさなかったから、誰も見なかった。

棺は、奥の壁ぎわの、腰の高さの石の台に載っていた。土の床から離してある。

月英は懐中電灯を当てた。

黒い棺だった。塗りではない。蓋と四方に、墨の線が何重にも打たれて、木肌が見えないほど黒くなっていた。線は一本ではなかった。古い線の上に、少しずつずれて新しい線が重ねてある。いちばん上の線は、まだ艶があった。

額にあたる頭の側と、蓋の四隅に、札が留めてあった。札は色が抜けていた。朱の字が、茶の出がらしのような色に褪せている。紙の端が、湿りを吸って波を打っていた。

叔父は台の縁に手をついて、腰を伸ばしたまま札に顔を寄せた。しばらく黙っていた。

「親父の字だ」と叔父は言った。

最後の一画に、道士はそれぞれ筆の癖を残す。月英の祖父の癖は、止めるところで、筆をわずかに左へ戻すことだった。子どものころ、祖父の机の下で、何百枚もその跳ねを見上げた。月英にも分かった。

祖父は五年前の春に死んだ。九十一だった。

蓋の上に、細長い布が釘で留めてあった。もとは紅かったのだろう。いまは古い煉瓦の色になっている。白い字が読めた。江西の窯町の名と、白土坑という村の名。そして、聶(じょう)順昌(じゅんしょう)。その下に「之柩」4銘旌(死者の名と郷を白く書いた紅い布の旗)は年ごとに褪せ、九十年で古い煉瓦の色になります。白い字は布より褪せにくいので、色の抜けた布の上でも名と郷が読める。名の下の「之柩」は、この棺の主、という結びです。同じ場面 → 鶴の胸・鈴の箱。

「銘旌(めいせい)だ」と叔父は言った。「会館の銭で送るはずだった客だな5窯町の者なら、窯場で死ねば窯の組合が、よその町で死ねばその町の江西の会館が、送る銭を出します。送る死者を「客」と呼ぶのは、葬送師と道士の言い方です。同じ場面 → 元宵の儺記録 → 旅の死者を故郷へ帰す」

叔父は、上着のポケットから線香この世界では死者は飯を食べず、香の煙を糧にする。煙は魂の残る死者の方へ折れて吸われ、吸う者がいなければまっすぐ昇る。香が絶えると、魂が早く薄れる。基本 → 香を一本出して火をつけ、棺の頭の前の、台の端に立てた。風はない。煙は細く、まっすぐ昇って、高い窓の光の中へ消えた。一度も折れなかった6棺の前に線香を一本立て、煙が折れるかを見るのが、呼ばれた者の最初の仕事です。風の無い所で煙が死者の方へ折れれば魂が残り、真上へ昇りきれば魂は無い。魂の無い屍は鈴に応えず、札で押さえるほかありません。叔父は殯儀館の炉の前でも、同じ一本を立てて確かめています。この決まりの要 → 一本の線香同じ場面 → 土地廟のない村。

高窓の光が入る蔵で、月英が石台の黒い封の棺を懐中電灯で照らす。叔父は腰を伸ばしたまま札へ顔を寄せ、一本の線香の煙がまっすぐ昇る。
九十年の封を重ねた棺に、まっすぐ立つ香の煙(想像図)

「魂は、とうに無いこの世界では死んだ人には、心にあたる魂(こん)と、体に残る魄(はく)がある。魂が残るうちは「死者」で、鈴で呼べば応えて歩く。魂が抜けて魄だけになると「屍」で、人を襲う。基本 → 死者と屍」と叔父は言った。

そのとき、棺の中で音がした。こん、と板を打つ音が一つ。少し間があって、もう一つ。月英は懐中電灯を握り直した。三つ目は来なかった。

「起きかけとる」と叔父は言った。「札が一年、墨が一雨季。親父が死んでから、五回、雨季が来た7封の墨の線は、引き直すとき古い線を消さず、半分ほどずらして重ねます。線は年ごとに太くなって木目の溝を埋め、厚い線は一度には切れず、上の層から順に弱る。五年見回りの絶えた棺が、起きかけで済んでいたのは、九十年ぶんの線の厚みのおかげです。同じ場面 → 封の家」

 *

札を替えるのは、月英の手でやった。

叔父が椅子に座ったまま書いた札を、月英が一枚ずつ受け取る。古い札の上に新しい札を重ねて、糊が落ち着くのを数えて待ち、それから古い札を下から抜く。先に抜いてはいけない。札の無い時が生まれる。子どものころ、祖父がそうしていたのを見ていた。見ていただけで、手を出したことはない。

抜いた古い札は、湿った落ち葉の手ざわりだった。下の端を指で押さえると、紙が指に張りついてきた。叔父に言うと、叔父はうなずいた。張りつくのは、紙が札の張りを失った印だ。そうなったら替えどきで、そこから先は、ただの紙だ。

墨は、叔父が家で練ってきた。松煙の墨に膠と、朝のうちに近所で買った雄鶏の血8封の墨は、雄鶏一羽の血で線がおよそ百尺引けます。棺の六面を一巡りしても四十尺ほどなので、半羽で足ります。いまは市場の鶏屋で、絞めるところの血を椀に受けてもらう。血は固まる前に膠と練らねばならないので、買ってから一刻のうちに墨にします。半羽ぶんが余っても、翌る日には使えません。同じ場面 → 一度きりの雷・封の家と、朱砂をひとつまみ。月英は墨斗(すみつぼ)の糸を歯で引き出して、端を叔父の手に渡そうとして、叔父が屈めないことを思い出した。糸の端を、台の角の釘に掛けた。蓋に一本、四方に一本ずつ。糸を弾くたびに短く乾いた音が蔵に立ち、黒く重なった線の上へ、膠と血の匂いのする濡れた線が載った。底は、棺を傾けないと打てない。作業員を二人頼んで傾けてもらった。二人は目をつぶっていた。

六面を打ち終えると、蔵の中の甘い匂いが、少し引いた気がした。

「これで、しばらくは黙る」と叔父は言った。「しばらくはな」

 *

その晩、叔父の家の二階で、月英は祖父の箱を開けた。

叔父に言われたのだ。親父の帳面が、どこかにあるはずだ、と。

箱の中は、札の書き損じと、柄の擦り減った筆と、布に包んだ雷令(らいれい)の木の牌と、糸で綴じた帳面が四冊だった。帳面の一冊の表紙に、「預」と一字だけあった9封じて待つ屍を、葬送師と道士は「預かり」と呼びます。送る銭が貯まるまで預かっている、という意味で、帳面の表紙にも「預」の一字を書く。預かりの帳面は屍一人に一冊で、送り出すか眠らせるかするまで閉じません。表紙には預けた家や会館の名を書かず、「預」の一字だけです。この一冊は、九十年閉じられずにいました。同じ場面 → 封の家・揃わない列。

開くと、頁が四つの欄に割ってあった。墨、札、屋根、送る銭。

最初の頁は、祖父の字ではなかった。もっと細く、もっと傾いた字だった。曽祖父だと叔父が言った。

民国四年、冬。江西会館の預かり。聶順昌、年二十六、磁器を積む舟の舟子。会館の二階で熱に倒れ、七日目に死す。送る者は折悪しく上流へ出ていて、戻ったのは死んで半月の後10送る者が上流へ出ているあいだに客が死ぬと、会館は宿の主に頼んで、廟へ香を上げ、土地の神(死んだ人の魂を三日預かる、その土地の神さま)に名を告げてもらいます。それでも三日のうちに葬送師が戻れなければ、術はかけられない。聶順昌のように「一度も歩かせず」と書かれた客は、会館の帳面では珍しくありませんでした。基本 → 義荘と土地の神同じ場面 → 土地廟のない村。魂すでに去る。一度も歩かせず。翌年の春、育ちの兆しあり、封ず11術をかけずに置いた体は時が流れ、土に葬らなくても魄が育ちます。夜気と、まわりの生きた人の陽気(体の温み・気配)を吸うからで、人の出入りの多い建物ほど早い。灰になった魄には吸う体が無いので、塔の棚に置かれても育たずに待ちます。体のまま待たせるなら、封じて棺に納めるしかありません。同じ場面 → 撿骨の日記録 → 屍の段階を読むこの世界では生まれた土地の土に葬られなかった死者は、年とともに魂が抜け、体に残る魄が強くなって「育つ」。跳ぶだけの体が走り、低く滑り、やがて宙に浮くまでになる。生まれた土でなければ眠らない。基本 → 育つ。

その下に、墨と札の代が、年ごとに並んでいた12九十年の帳面では、額の単位が幾度も替わります。はじめは銅銭、次に銀貨、紙の銭の値が一日で動いた年は米の斤、それから元。単位の替わる年は頁の頭に新しい単位を一字書き、前の単位に直した額は書きません。封の中身は、札五枚(蓋の頭の側に一枚、四隅に一枚ずつ)と墨で、どの年も同じだからです。同じ場面 → 碗の跡・草鞋の数。屋根の欄には、瓦と雨樋の代が、墨と札を合わせたよりも多く書いてある。送る銭の欄は、別の頁に立ててあった。会館の積み立てが、年ごとに少しずつ増えて、二十幾年ぶん並んでいる。封じた棺なら舟の荷として川も湖も行けるが、舟頭は棺を嫌って生きた客の倍の賃を取る13湘西から窯町へ棺を送るには、川を下って湖を渡り、大きな川を下って、もう一つの湖から窯町の川を上ります。舟でひと月あまり。途中で立春を越せば封を書き改め、向こうの港では村まで担ぐ四人を頼む。会館の見積もりは銀貨で五十枚あまりで、積み立てはその手前で止まりました。同じ場面 → 封の家記録 → 旅の死者を故郷へ帰す。そのうえ道中の封の書き改めと、向こうの港で受ける人の手配が要る。その合計の手前まで、数字は届いていた。

そこで一行、「道断つ」とあった。

次の頁から、字が祖父のものに替わっていた。送る銭の欄は、それきり空いている。墨と札の欄には、毎年の代が書いてあった。会館が閉じた年のあたりから、額の下に小さく「自」と添えてある14会館が閉じると、置かれたままの棺はその土地にまとめて葬られました。封じた棺をよその土に葬れば魄が育つばかりなので、覃家の道士は倉の奥に置かせたまま、封の代を自分で持った。帳面では、ほかの欄から回した銭は赤で書きますが、自分の懐から出した銭は色を付けずに「自」と添えます。同じ場面 → 封の家・緡の長さ。自分で出した、という意味だ。

それから五十幾年、「自」が続いた。途中、一年だけ、墨の欄の横に、細い字で「夜」と書き添えてあった。

「あの年だ」と叔父は言った。それ以上は言わなかった。

最後の行は、五年前の立春だった。札五枚、墨。そこで終わっている。

 *

「親父は、あれを一人で持っとった」

叔父は、湿布の上から腰を押さえながら言った。

「わしは知っとった。子どものころ、一度ついて行ったことがある。倉の番人に煙草を二箱15封を見回るために戸を開けてもらう代は、帳面では「屋根」の欄に入れます。戸も建物のうち、という理屈です。倉の時代の覃家の帳面では、屋根の欄に瓦と雨樋と煙草が並び、番人の吸う銘柄が替わった年は、それもきちんと書き分けてありました。銘柄を書くのは、次に来る者が同じものを持って行けるようにです。同じ場面 → 封の家渡して、夜に入れてもらっとった。親父が死んで、一度だけわしが行った。その翌年、腰をやった。それで、そのままにした」

月英は帳面を閉じなかった。叔父の顔より、帳面の最後の行の方が見やすかった。

「どうするの」と月英は聞いた。

「札を替えて、線を打ち直して、それで一年保たせる。来年もやる。それしか無い」

「工事は」

「鄒さんには、蔵ごと別の所へ移してもらうしかない。どこか、土間でない倉を借りて」

叔父は筆を指の間で回した。

「わしらにできるのは、弱らせることと、封を書き改めることだけだ。眠らせる手は、葬送師の碗この世界では符水は、符を焼いた灰を井戸の水に溶いた水。生まれた土地の土に注ぐと術が解け、死者は倒れて眠る。碗を土に置くと符水が土へ通い、よその土では術が半端に解けるので、碗は土に置かない。基本 → 碗の符水の水だ。歩かせる手は、鈴だ。どっちも、とうに無い」

葬送師が絶えたのは、禁じられたからより、継ぐ者が来なかったからだ、と叔父は言った。鈴は五年習わないと列を導けない。碗の水は口伝えで、書いたものは無い。この町の最後の葬送師は、坂の上の龍という年寄りだった。弟子はいなかった。

「上流の村に、鈴が一つ帰ってきたとは聞いた16帰ってきた鈴は、「鈴の箱」で金貴が海の向こうから骨壺と一緒に抱いて帰った、叔父の水生の鈴です。符水の符は、廟の道士に焼いてもらえば足ります。口伝えなのは、碗の水面に映る拍(鈴と足音の刻む間)の読み方と、碗を死者の拍につなぐ手順で、こちらは書いたものがありません。鈴だけが戻っても、碗が無ければ呼んだ死者を眠らせる手が無い。呼べば、呼んだぶんだけ迷わせることになります。同じ場面 → 鈴の箱・土地廟のない村」と叔父は言った。「十五年ばかり前だ。海の向こうで死んだ人の骨壺と一緒に、箱に入って戻ってきたそうだ。けど、それを振れる者がおるという話は聞かん。振れても、碗が無い」

月英は、帳面の最初の頁に戻った。一度も歩かせず、と曽祖父の字が書いていた。

「燃やすのは」と月英は言った。

叔父は筆を止めた。

「燃やしても、倒れん」

「知ってる」

「魄(はく)は灰の下にも残る。昔も、どうにもならん屍は薪で焼いた。一体に百二十斤。焼いた灰は、その場に埋めた。埋めた所は、何十年も草が生えんかった。眠らんからだ。よその土だからな」

「じゃあ、その場に埋めなければ」

叔父は月英を見た。

「灰は歩けない」と月英は言った。「歩けないものは、鈴が要らない。この人は一度も歩かされてない。封はされたけど、動かされたことはない。だったら、灰になったら、生まれた土に触れるだけで眠るんじゃないの」

叔父はしばらく黙っていた。窓の外で、川の方から、夜の工事のトラックが一台、坂を上がってくる音がした。

「昔の人が屍を歩かせたのは、担ぐより安かったからだ」と月英は言った。「棺は重い。人夫が四人要る。でも骨壺なら、一人で汽車に乗れる」

「親父は、火が嫌いだった」と叔父は言った。「送る仕事を終わらせたのは火だと、死ぬまで言っとった」

「じゃあ、火で送ればいい」

叔父は笑わなかった。筆を置いて、両手で顔をこすった。それから、腰に手を当てて、ゆっくり立ち上がった。窓の外を見たまま、言った。

「おまえ、字は書けるか」

「偽の字なら17教える字は、たいてい真ん中あたりの一画を違えてあります。字の頭と尻尾は本物と同じなので、子どものころに覚えた手ほど、大人になってから本物へ直しにくくなります。同じ場面 → 列ごっこ・土地廟のない村」

子どものころ、祖父は月英に札の字を教えた。教えたのは、形は似ていて、どこかが一画違う字だった。道士は子どもに本物の字を書かせない。書けば、遊び相手が本当に止まるからだ。月英がそれを知ったのは、中学に上がってからだった。

「なら、今夜は本物を覚えろ」と叔父は言った。「骨壺に巻く札が要る。持って行くのはおまえだ」

 *

叔父は、机の端に線香を一本立てた。煙がどこへも折れずに昇るのを見てから、筆を三本、穂先を下にして、煙の中をくぐらせた18習わしの理由札を書く前に筆を煙にくぐらせるのは、清めというより、煙が折れないのを筆で確かめる手順です。魂の残る死者がそばにいれば煙は折れ、その気配は筆の穂に移る。これから宛て先(どの死者のために書くか)を入れる筆に、よその死者の気配を残さないための用心で、煙がまっすぐなら、筆はどこにも宛てられていない筆です。同じ場面 → 土地廟のない村。札を書く前に、道士は煙で筆を清める。祖父もそうしていた。月英は、その煙の匂いで、祖父の机の下の板の冷たさを思い出した。

夜の机で、叔父が穂先を下げた三本の筆を香の煙のそばにかざす。向かいの月英の前には黄色い紙と朱、机脇には祖父の箱と帳面。
祖父の机を思い出しながら、本物の札の字を覚える夜(想像図)

叔父が一枚書いた。月英がその横に、同じ字を書いた。

違う、と叔父は言った。月英の手は、覚えている形を書いていた。子どものころ祖父に教わった、一画違う字だ。手が先に、偽の方へ行く。月英は筆を置いて、指を一本ずつ伸ばした。印刷所では、一ミリの見当ずれを見つけるのが仕事だった19札は刷れません。刷った札は、朱が紙の表に浮いて、網点(印刷の濃淡を作る細かな点)のような粒が見えます。九年、刷り物の見当を見てきた月英には、刷った札の見分け方だけは、最初から教える必要がありませんでした。同じ場面 → 草鞋の数。自分の手のずれは、見えなかった。

三枚目で、叔父は何も言わなくなった。

朱は、紙に沈まなければいけない20札の竹紙は、刷り用の紙のように表を固めていないので、筆を置いた所から水を吸って膨らみます。朱は膠で練ってあり、筆の腹で押すと繊維のあいだへ沈んで、乾けば指でなぞっても段が無い。表に浮いた朱は指の腹に粒が触れ、紅土の混じった安物の札と同じ手ざわりになります。同じ場面 → 草鞋の数・匂いの関。表に浮いた朱は、札でなく絵だ、と叔父は言った。月英は筆の腹で、朱を紙の繊維の奥へ押し込むように引いた。竹紙は、刷り用の紙よりずっと柔らかく、筆を置いたところから、わずかに水を吸って膨らんだ。

最後の一画は、自分の癖で止めろ、と叔父は言った。癖は作るものではない。書いているうちに、勝手に出る。出たところで止めればいい。

月英は、その一画を、三度書き直した。三度とも、止めるところで手が迷った。

四枚目を、叔父は取り上げて、灯にかざした。何も言わずに、机の端の、書き終えた札の山とは別の所へ置いた。それが骨壺に巻く一枚になった21骨壺に巻く札は、胴を一巡りする長さの竹紙に書き、字の頭を蓋の側に向けて麻紐で留めます。灰の魄は歩けませんが、道中の揺れで目を覚まさないよう、着くまで押さえておくためのものです。紐の結び目は胴の側に作り、蓋を外して灰を落とすときに、札に触れずに済むようにします。同じ場面 → 鈴の箱。

 *

鄒は、話を最後まで聞いてから、一つだけ聞いた。

「燃やすのは、殯儀館(ひんぎかん)でいいんですね」

「いい」と叔父は言った。「ただ、棺は開けん。札を留めたまま、棺ごとだ22習わしの理由封じた棺を開けないのは、封を破れば札の効きが一度に抜けるからです。開けた棺の屍は、火に入る前の台車の上で起きかけることがある。札を留めたまま棺ごと焼けば、火が板を抜くまで封は効いていて、屍は起きる間を持ちません。炉の口が棺の幅に足りたのは、幸いでした。同じ場面 → 封の家」

鄒は手帳に何か書いた。工事で出た引き取り手の無い古い棺として、居民委員会と派出所の紙23工事で出た身寄りの無い古い棺は、町内の役と警察の二枚の紙がそろえば、殯儀館が受けて焼きます。紙に書くのは見つかった場所と棺の数だけで、中は問いません。昔の関所が銘旌の名と数を控えて、死者の顔を見なかったのと同じです。道士への払いは紙に載らず、法事の謝礼として別に包まれます。同じ場面 → 鶴の胸を取る。殯儀館の払いは会社が持つ。江西までの汽車の切符も出す。謝礼は、法事の分として別に包む。

「向こうに、家族はいるんですか」

「分からん」と叔父は言った。「九十年前の人だ」

鄒は、作業靴の先で床の埃を少し押した。

「うちの祖父も、よそで死にました」と鄒は言った。「広東の工場で。灰は、父が汽車で持って帰りました。膝の上に載せて、二日」

それだけ言って、鄒は帰った。紅い封筒は、あとで若い社員が届けに来た。

 *

棺を蔵から出したのは、三日後の朝だった。

担ぐのは四人。鄒の会社の作業員で、日当に色をつけてもらった者たち24昔、封じた棺を担ぐ日の上がりは「重み代」と呼ばれました。いまの作業員の日当の上乗せも、中身は同じです。ただ会社の伝票に重み代の欄は無く、鄒の会社では「特殊作業手当」と書かれました。担いだ四人は、その言葉を知らなくても、肩の重さの違いは分かっていたようです。同じ場面 → 鶴の胸だ。叔父は、蔵の戸口で線香を焚き、四人の肩に一枚ずつ、小さな札を貼らせた25習わしの理由封の棺を担ぐ生きた者の肩に貼るのは、棺の封の札とは別の、小ぶりの守りの札です。封じた屍は、担ぎ手の陽気(生きた体の温み)を板越しに肩から探ります。札は陽気を紙一枚ぶん遮り、担ぐあいだ、人の肩を人と思わせない。四人が黙って貼られていたのは、重み代が、この札の代でもあったからです。同じ場面 → 封の家。月英が貼った。四人は黙って貼られていた。

棺は重かった。九十年、墨を重ねた木は、水を吸った丸太のようだと、いちばん年かさの作業員が言った。石の台からトラックの荷台まで、一度も土に下ろさなかった26封じた棺は土の床に置きません。板越しにも土の気が上がり、よその土に葬ったのと同じに魄の育ちが早まるからです。だから封じた棺は、土の床でも、腰の高さの石の台に載せる。鉄の荷台に板を敷いたのは土のためでなく、米の舟に棺を積むとき船底に板を一枚敷くのと同じ、荷を分ける作法です。同じ場面 → 封の家・反る札。荷台には、叔父の言いつけで板を二枚敷いた。

トラックは町を抜けて、北へ向かった。

殯儀館は、町の北の丘の下にあった。丘の斜面には、古い墓地が段々に残っている。石の墓もあれば、字の消えた木の墓標がそのまま傾いているものもある。昔、役所が、この町で死んだよその者を葬るために拓いた所だと、叔父が助手席で言った。

「夜になると、音がする丘だ27町の北の丘の墓地は、「碗の跡」の秋、死者を夜に歩かせることが禁じられたとき、客死した者を三日のうちに葬るために役所が拓いた所です。龍老人が墓標の並びを端から端まで見た丘で、その龍老人もここに葬られました。よその土に葬られた魄は眠らず、夜になると土の下で板を打つ。見回る道士の札で音はいくらか静まりますが、眠らせることはできません。同じ場面 → 碗の跡記録 → 屍の段階を読む。この辺の者は、日が落ちたら近寄らん」

月英は窓越しに斜面を見た。午前の日が、乾いた草の上にまっすぐ当たっていた。

「龍の爺さんも、あそこだ」と叔父は言った。「身寄りが無かったからな。役所が棺を出して葬った」

それ以上は何も言わなかった。トラックは丘の下を回って、殯儀館の門に入った。

 *

殯儀館の炉の係は、舒(じょ)という三十前後の男だった。青い作業着の袖をまくって、棺を見るなり、口笛を吹きかけてやめた。

「棺ごとは久しぶりです」と舒は言った。「いまは紙の棺か、薄い板の棺ですから。これは、倍かかりますよ28いまの炉は、紙の棺や薄い板の棺なら一時間半ほどで焼き上げます。厚い棺ごとなら倍の三時間。昔、屍を焼く薪が一体百二十斤、雨の季節にはその倍要ったのと、倍の勘定は変わりません。炉の係が燃やすものを重さでなく時間で数えるようになったのが、昔との違いです。同じ場面 → 封の家」

炉は二つあって、古い方の炉の口が、どうにか棺の幅に足りた。舒は鉄の台車に棺を載せ、留めてある札を見て、少しだけ目を細めた。何も聞かなかった。

「うちの祖母の村でも、こういう紙を見ました」とだけ言った。

叔父は炉の前に線香を一本立てた。煙は、やはりまっすぐ昇った。

舒が台車の把手に手を掛けたとき、叔父が、ちょっと、と言った。

叔父は棺の頭の側に立って、銘旌の白い字を、上から一度読んだ。声は大きくなかった。江西、窯町、白土坑。聶順昌。名を呼んで、それから郷の名を呼んだ。昔、葬送師が鈴を打つたびに胸の内で呼んだ順だと、月英は後で聞いた。鈴の無い者は、声で呼ぶしかない。

暗い炉の前で、叔父が閉じた黒い棺の銘旌を読む。青い作業着の舒が鉄の台車の把手に手を掛けて待ち、月英が少し後ろに立つ。
火の前に、銘旌の名と郷を声で呼ぶ叔父(想像図)

舒は、把手に手を掛けたまま待っていた。叔父がうなずくと、黙って台車を押した。

台車が炉の奥へ押し込まれ、鉄の扉が下りた。のぞき窓の向こうが、橙色になった。

少しして、炉の中で音がした。板を内から叩くような音が、一つ29火に入った屍は、体が焼けきる前に、一度だけ内から板を打ちます。魄が体から灰へ移る音で、眠る音ではありません。灰に移った魄は歩けず、打つ手も無いので、それきり鳴らない。術で歩かされたことのない魄が、生まれた土で眠る前に一度鳴るのとは、音は似ていても、わけが違います。同じ場面 → 撿骨の日記録 → 屍の段階を読む。舒が顔を上げた。

「古い木は、よく鳴るんです」と舒は言った。

月英は叔父を見た。叔父は目を閉じていた。

音は、それきりだった。

待合の部屋で、二人は三時間待った。壁の時計の秒針が、一つずつ引っかかるように進んだ。叔父は一度も腰を下ろさなかった。座ると立てなくなるからだ、と言った。

窓から、丘の斜面が見えた。昼の光の中では、ただの古い墓地だった。

「あそこの札も、親父が見回っとった」と叔父は言った。「祠に一枚吊して、反りを見る。香を焚いて、煙の折れ方を見る。起きとるのがあれば、札を足す。それだけだ。眠らせることはできん」

「今は」

「わしが、春と秋に」と叔父は言った。「この腰になってからは、秋だけだ」

月英は窓の外を見たまま、あの斜面の段の数を数えようとして、途中でやめた。

骨は、白より灰色に近かった。棺の木の灰と、墨の煤と、朱の混じった赤い粒が、骨のあいだに散っていた。舒は長い箸で骨を拾いながら、一度だけ手を止めた。

「冷たいですね」と舒は言った。「炉から出したばかりなのに30術で動かされたことの無い魄の灰は、炉から出しても、人が抱いても温まりません。骨を拾う長い箸を通しても冷えが指に来るので、炉の係はたいてい一度手を止めます。冷たさは魄が生まれた土に触れて眠るまで続き、夜行の汽車の一晩くらいでは少しも抜けません。同じ場面 → 鈴の箱・撿骨の日」

月英は骨壺の蓋を押さえた。陶器の壺で、白地に青い蓮が描いてある。殯儀館の売店で、叔父がいちばん飾りの少ないものを選んだ。叔父はその胴に、あの晩に月英が書いた札を一枚、麻紐で巻いた。

 *

江西へは、汽車で行った。

省都で乗り換えて、夜行の硬臥(こうが)、段の固い寝台車に乗った。月英は下の段に座り、骨壺を布の袋に入れて膝に載せた。向かいの段の老夫婦が、ひまわりの種を割りながら、袋を一度見た。茶葉か、と夫の方が聞いた。月英は、ええ、と言った。

骨壺は、ずっと冷たかった。

膝に載せていれば、陶器は人の体の温みを吸う。それが、夜通し吸わなかった。井戸の底から上げたばかりの石を抱いているようだった。月英は袋ごと、自分の外套の中に入れた。それでも冷たかった。明け方、窓の外が白くなるころ、膝の皿が痛んだ。

窯町の駅に着いたのは、昼前だった。

煙突が見えた。何十本もある。煉瓦の煙突は、上の方ほど煤で黒い。いまはほとんど煙を吐いていない。古い窯場のいくつかは、観光客の見て回る場所になっていて、駅前には旅行社の小旗を持った一団が並んでいた。通りは磁器の店ばかりだった。白い皿と青い碗が、店先の台から歩道まで溢れている。どの店にも、薪の窯で焼いた、と書いた紙が貼ってあった。

駅前の広場の隅に、灰色の石の門だけが残っていた。門の上の額には、どこかの県の名と、会館の二字が彫ってある。門の奥は駐車場だった。昔、窯場で死んだ者の送り賃は窯の組合が出し、組合の寄り合いは同郷の会館で開いた、と聞いたことがある。月英は門の下を通り抜けて、また戻った。

月英は、町外れのバスの乗り場を探した。白土坑は、町から山へ入って、一時間ほどの村だった。

 *

バスを降りると、道は赤でも黒でもなく、白っぽい土だった。靴の裏に粉がつく。昔、この山で磁器の土を掘っていた、と運転手が言った。いまは掘っていない。掘り尽くしたのか、よそに安い土が出たのか、運転手も知らなかった。

村は、斜面に三十軒ほどの家が張りついていた。半分は新しい煉瓦の家で、半分は古い土壁の家だった。土壁は白かった。この山の土で塗ると、白くなるのだ。

村の入口の雑貨屋で、聶という家を尋ねた。店番の若い女は首を振って、奥から祖母を呼んだ。

艾(がい)という、八十を過ぎた女だった。耳は遠いが、話は早かった。

「聶の家は、とうに無いよ」と艾は言った。「舟の家だったろう。この村の男は、若いうちは土を掘るか、窯町で舟に乗るかだった。舟に乗った者は、帰ってくるか来ないか、半分半分だった」

艾は、少し考えてから続けた。「私が嫁に来たときには、もう無かった。上の、あの柿の木のあたり。舟に乗った息子が一人、戻らんかったとは聞いた。親が死んで、弟がどこかへ出て、それで絶えた」

月英は、骨壺の入った袋を持ち直した。

艾は袋を見た。それから月英の顔を見た。何も聞かなかった。杖を取って、先に立って歩きだした。

柿の木は、斜面の上の、段々の畑の端にあった。実がいくつか、まだ枝に残って、熟れすぎて透きとおっていた。木の根もとの土は、ほかの所より少し黒かった。昔、ここに竈があったのだと艾は言った。家の跡は、竈の跡しか残らない。

月英はしゃがんで、袋から骨壺を出した。

札を巻いたまま、蓋だけを外した。中の灰は、灰色で、ところどころに赤い粒が混じっている。殯儀館で見たときと同じだった。冷たさも同じだった。

壺のままでは、土に触れない。

月英は、柿の根もとの土を、手で少し掘った。白い土は、乾いているのに指に粘った。爪の間に入った。掘った穴に、壺を傾けて、灰を少しずつ落とした。灰が白い土の上に落ちて、色の違う小さな山になった。全部を落として、上から土をかけた。掌で二度、押さえた。

何も起こらなかった。風が柿の葉を一枚落として、それが土の上に載った。

月英は空になった骨壺を持ち上げた。

温かかった。

陶器は、日の当たった石と同じくらいに31生まれた土に触れて魄が眠ると、空の壺が日なたの石ほどに温まります。壺ごと埋めても灰は土に触れないので、蓋を開けて灰を土へ落とす。生まれた家の跡が分からないときは竈の跡を選びます。竈は家でいちばん長く土に据わる所で、家が絶えたあとも、そこだけ土の色が違って残るからです。同じ場面 → 鈴の箱・撿骨の日、ぬるくなっていた。月英はしばらく、両手で壺を包んだまま、しゃがんでいた。膝の皿が、また痛んだ。

艾は、杖に両手を重ねて、それを見ていた。

「茶を飲んでいきな」と艾は言った。

雑貨屋の奥で、艾は湯を沸かし、縁の少し欠けた白い茶碗に茶を注いだ。この村で焼いたものではないと言った。町で、二つで一元だった。茶は、山の上の方で摘んだ、苦い茶だった。

 *

町へ戻ると、叔父は籐の椅子に、前より少しまっすぐ座っていた。湿布は一枚に減っていた。

月英は骨壺を机に置いた。叔父は手を伸ばして、陶器の胴に触れた。巻いた札の上から、しばらく掌を当てていた。それから、札の麻紐を解いた。札はまだ張りを保っていた。もう要らない札だった。叔父はそれを灰皿の上で、自分の手で焼いた。書いた札の始末は、書かせた道士がする。

「帳面を」と叔父は言った。

月英は祖父の箱から「預」の帳面を出して、最後の行を開いた。五年前の立春。札五枚、墨。その下は空いている。

叔父は筆を月英の方へ押した。

月英は、送る銭の欄の、ずっと空いていた頁を開いた。「道断つ」の次の行に、日付と、鄒の会社の名と、殯儀館の払いの額と、汽車の切符の額を書いた。その横に、細い字で、二つ書き足した。

火。白土坑、柿の木の下。32送る銭の欄は、送り終えた日に、送り方の一字と帰した土を書いて閉じます。歩かせれば「歩」、棺を担げば「担」、舟なら「舟」。九十年空いた欄に入ったのは、どの帳面にも前例の無い一字でした。帰した土は村の名だけでなく、あとで誰かが訪ねられるよう、目印まで書きます。同じ場面 → 封の家・鈴の箱

叔父は何も言わなかった。窓の外で、川べりの重機が、また動きはじめる音がした。

この話は、研究所の設定をもとにした創作で、史実ではありません(短編集について)。