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研究所の創作 短編集

一度きりの雷

清の末 / 湖北の北の丘の村

つながる話 揃いすぎる列(掘り出された千年の屍を、雷で崩す)・封の家(弱らせて、封じて、送る。その長い方の話)この世界の基本 封・育つ・死者と屍・送る二人・鈴と拍・息と足の裏

本文の ◦ の印には、この世界の基本の短い説明が付いています。小さな番号は欄外解説で、その場面の決まりの細部や、ほかの話とのつながりを説明します。画面が狭いときは、印や番号を押すと開きます。この世界の基本

光緒の末の夏、湖北の北の丘に、ひと月あまり雨の落ちない年がございました。田の泥は乾いて亀の甲のように割れ、割れ目の底には、白くなった稲の根がのぞいております。村の者は朝に井戸をのぞき、昼に空をのぞき、夕方には、まだ水の残る田を数えました。数えるたびに、その数は一つずつ減ってゆくのでございました。

水は、夜のうちに消えたのでございます。

朝になって畦(あぜ)へ出ると、昨日まで踝(くるぶし)ほどあった水が、一枚の田からそっくり無くなっております。流れ出た跡はございません。ただ畦の一か所だけ、土が黒く湿っていて、そこに人の背丈ほどの窪みが、うつ伏せに寝た形1低く滑る屍は、水気の残る土に伏せて、土の中の気を吸います。窪みがうつ伏せの形なのは、顔と胸を土に付けて吸うから。仰向けの窪みなら、ただ人が寝た跡です。記録 → 屍の段階を読むで残っておりました。窪みの底に手を当てた者は、真夏だというのに指が冷えた2屍が伏せた跡の土は、真夏でも井戸の底のように冷えます。屍の抱いてきた墓の底の冷えが土に移るためで、日が高くなっても半日は抜けない。冷えの残り方で、屍が来た刻まで読めます。同じ場面 → 匂いの関と申しました。

村では、屍この世界では死んだ人には、心にあたる魂(こん)と、体に残る魄(はく)がある。魂が残るうちは「死者」で、鈴で呼べば応えて歩く。魂が抜けて魄だけになると「屍」で、人を襲う。基本 → 死者と屍(しかばね)が旱魃(かんばつ)になったのだ3育った屍が旱魃になって雨を止める、という言い伝えは古く、旱魃を焼けば雨が降るとも言います。けれど日照りを起こすほどの屍はまず出ない。たいていは日照りの年に墓が暴かれ、屍が出るのです。記録 → 屍の段階を読む、と噂いたしました。

村の衆が銭を出し合ったのは、三枚目の田が空になった朝のことでございます。米びつの底をさらった銭、嫁入りの簪(かんざし)を質に入れた銭、寺へ納めるはずの銭が、保長(ほちょう)の家の卓に寄せられました。それで呼べたのは、山向こうの町に住む範(はん)という老道士この世界では死者を送るのは二人組。前を歩く葬送師は、鈴で死者を呼び、碗の符水で眠らせ、墨斗で屍を止める線を打つ。後ろを歩く道士は、札で死者を結び、屍を封じ、雷で弱らせる。基本 → 送る二人と、その孫の禾生(かせい)の二人きりでございました。腕の確かな組は、もっと高うございます。

範道士は七十を越えておりました。札の筆は若い者より細く確かでございました。けれども雷は、もともと一夜に一度しか呼べぬうえに、七十を越えてからは、一度呼べば、三晩は次が呼べなかった4雷は誰が撃っても一夜に一度きりです。若いうちは翌る夜にまた撃てますが、年を取るほど削られた身が戻るのに日がかかる。七十を越えれば、一度撃つと三晩は撃てません。同じ場面 → 揃いすぎる列記録 → 茅山の道士と雷の法を読むのでございます。掌(てのひら)に字を書いて握り、それを放つたびに、腕の筋が焼けたように痛み、三日は箸も持てなくなると申しました。

禾生は十三でございました。父は葬送師で、禾生は八つの年からその後ろについて歩いておりましたが、父は二年前、峠で崖から落ちて亡くなりました。残されたのは、柄の擦り減った鈴この世界では葬送師が鈴を鳴らすと、魂の残る死者は呼びかけに応えて自分で跳ぶ。鈴と足音が刻むリズムが「拍」。足音で鈴に応えるのが「返り」で、返りが夜ごとに遅れてゆけば、魄が強まった印。基本 → 鈴と拍と、墨斗(すみつぼ)と、縁に小さな欠けのある碗(わん)5碗は師から継ぎ、欠けても替えずに漆で継ぐのが習いです。新しい碗の水面が拍を映すまで一年かかるので、継ぐ間の無かった欠けた碗の方が、新しい碗よりずっと役に立ちます。基本 → 碗の符水同じ場面 → 封の家でございます。禾生はそれを布に包んで背負い、祖父の後ろではなく、前を歩きました。葬送師は前を歩くもの、と父に教わっていたからでございます。

二人が村に着いたのは、昼を回ったころでございました。範道士は乾いた田を一枚ずつ見て回り、窪みの縁の土を指でつまんで、鼻に寄せました。

「旱魃になった屍など、おりません」と道士は申しました。「日照りが先で、あれは後から来たのでございます」

保長は顔を曇らせました。道士は、村の裏の丘を見上げて尋ねました。

「近ごろ、どこかの墓を掘りましたな6屍が出た村で、道士がまず尋ねるのは墓のことです。日照りの年は、旱魃を打てば雨が降るという言い習わしで古い墓が開けられ、開けた者は名乗り出ません。だから道士は責めずに尋ね、目を伏せた者を見る。範道士は鉄柱を咎めませんでした。記録 → 墓を開けると屍は起きるのか」

保長のうしろで、鉄柱(てっちゅう)という若い者が目を伏せました。

丘の中腹に、誰も名を知らぬ古い墓がございました。碑の字は削れ、参る子孫もおりません。雨が来ないのはあの墓の主が旱魃になったせいだ、と年寄りの一人が言い出し、鉄柱ら若い衆が、半月前の夜に鍬(くわ)を入れたのでございます。旱魃を打てば雨が降る、という古い言い習わしがございました。棺の蓋をこじあけると、中の人は、昨日葬ったばかりのように肌を保っておりました。若い衆は松明(たいまつ)を取り落として逃げ、火をかけることも、埋め戻すこともしなかったのでございます。

禾生は祖父について丘へ上がりました。墓は口をあけたままでございました。棺の中には、黒く色の抜けた烏紗帽(うさぼう)が一つ転がっているだけです。棺の縁に、裂けた青い袍(ほう)の切れ端が掛かっておりました。明の型の衣でございます。

「古い方ですな」と道士は申しました。「故郷の土に眠っていた方が、掘り出されて、外の気に触れた。眠っておられた年月のぶんだけ、強いこの世界では生まれた土地の土に葬られなかった死者は、年とともに魂が抜け、体に残る魄が強くなって「育つ」。跳ぶだけの体が走り、低く滑り、やがて宙に浮くまでになる。生まれた土でなければ眠らない。基本 → 育つ」

禾生は棺の底の土をつまみました。湿っております。この日照りの中で、そこだけが湿っておりました。

「おじいさま、もう跳ねてはいないのでしょうか」

「窪みを見たろう。足の跡が無い。走る跡も無い」道士は腰を伸ばしました。「低く滑っておる7滑る段の屍は膝の高さに浮くのがふつうで、足跡を残さず、止まるたびに土が少し沈みます。走る段の先、浮く段の手前がここです。滑る屍を見た者が最初に気づくのは、足音の無さです。同じ場面 → 揃いすぎる列記録 → 屍の段階を読む。乾いた土では気が薄いから、水の残るところへ来て、土の中の気を吸うのだ。水はそれに引かれて、地の下へ落ちる8滑る屍が吸うのは水でなく、土の中の気です。気の抜けた土は水を抱えていられず、水は地の下へ落ちる。一夜で田一枚が空になるのは、伏せた一か所から、田じゅうの土の気が吸われるからです。」

「倒せますか」

「倒せはせん。雷でも、弱るだけだ」道士は棺の縁を撫でました。「弱らせて、封この世界ではすぐには送れない屍を、墨の線と札で蔵や棺に閉じ込めておくのが「封」。屍は雷でも火でも滅ぼせず、弱らせることしかできない。だから弱らせて封じ、銭がそろってから送る。基本 → 封じて、ここへ還す。それが今夜の仕事だ。ここの土がこの方の帰る土だから、ここへ符水(ふすい)を注げば、眠ってくださる9名の分からない死者は、ふつう送る先が無く、義塚(名も郷も分からない死者を仮に葬る墓)に仮埋めするほかありません。墓から出た屍だけは逆で、名を知らなくても還す先が初めから分かっている。範道士の仕事が一夜で済むのは、そのためです。同じ場面 → 揃いすぎる列。よそで注げば、倒れても眠らぬ」

禾生はうなずき、背の包みの中の碗を、布の上から確かめました。碗は地に置くな、と父は言っておりました。

村に残っている水は、あと一か所きりでございました。丘の裾の溜め池でございます。水面は縁から三尺も下がり、底の石が見えるほどでしたが、今夜あれが来るとしたら、そこよりほかにはございません。

範道士は、村じゅうの者を保長の家の前に集めました。そして、墨を打つのだ、と申しました。

墨斗の糸を張って弾けば、地に一筋の黒い線が残ります。屍はその線を越えられません。家々をぐるりと囲えば、中へは入れない。けれども、ただ家を守るだけでは、あれは今夜も水を吸い、明日の夜も来るでしょう。そこで道士は、池から丘へ向けて、田の上に二筋の長い線を引かせたのでございます。池の側は広く、丘の側は狭く、口を絞った漏斗(じょうご)の形10漏斗の広い口は、池の幅より左右に三間ずつ広く取ります。屍は線の手前で横へ逃げるので、口が狭ければ中へ入らず、脇へ回る。口を閉じる一本の糸は、伏せて待つあいだも土に付けず、張ったまま持ちます。同じ場面 → 揃いすぎる列・匂いの関にいたしました。

「池へ来たあれを、この線の間へ追い込む。追い込んだら、池の側の口を閉じる。そうすれば、あれの行ける先は丘の墓だけになる」

墨斗を持つのは禾生でございます。村の者は糸の端を持って畦の上を走り、禾生の合図で糸をぴんと張りました。禾生が糸を指でつまんで放つと、乾いた土の上に、ぱしり、と黒い筋が落ちます。墨には、範道士が鶏の血と朱を合わせておりました11雄鶏一羽の血で、線はおよそ百尺。一本二十五尺ほどの線を百二十本あまり打つには、雄鶏がおよそ三十羽要ります。その夏、村では夜明けに鳴く鶏が減り、寝過ごす者が増えたといいます。同じ場面 → 封の家。線の継ぎ目ごとに、道士が小札(こふだ)を石で押さえてゆきます。打つ時刻も、道士が暦を見て選びました12習わしの理由封の線は、旅の宿に打つ線と違って、道士が暦で日と刻を選びます。線は地に境を刻むもので、地の気の向きは日と刻で変わると道士は言う。急ぎの夜でも、暦を開く手間だけは省きません。。

日が落ちるまでに、禾生は百と二十あまりの線を弾きました13墨斗を一日弾き続けた指は、腹が黒く染まり、爪の間に朱が残ります。朱は灰汁で洗っても落ちず、三日ほどで皮と一緒に剝がれる。見習いの一日の仕事の量は、指の色で師に見抜かれます。。指の腹が墨で黒く染まり、爪の間まで朱がしみました。最後の一本は、漏斗の広い口を閉じる線でございます。これは、あれが中へ入ってから弾かねばなりません。禾生はその糸を張ったまま、溜め池の脇の土手に伏せておくことにいたしました。糸の向こうの端は、鉄柱が持つと申し出ました。自分が掘った墓だから、と鉄柱は言ったのでございます。

乾いて割れた田に、禾生と村人が墨の線を打ち、範道士が小札を石で押さえる。二本の墨筋は池側で広く、丘の墓側へ向かって狭まる。
日暮れ前、乾いた田に漏斗の形の墨筋を打つ(想像図)

村の犬は、どの家も土間につなぎました14習わしの理由犬は生きた人より陽気(体の温み・気配)が強く、屍を引き寄せます。吠え声は鈴の拍を乱し、拍を奪う手を台なしにする。だから屍の出る夜は、犬を外に置かず、土間へ入れて戸を閉めます。この決まりの要 → 揃わない列。

範道士は、村の衆にもう一つだけ教えました。

「来たら、息を止めこの世界では屍は、生きた人の陽気(体の温み・気配)で人を見つける。陽気がいちばん多く出るのは息、次が足の裏。息を止めて足の裏を屍に向けなければ、屍にはそこにいる人が見えない。基本 → 息と足の裏よ。足をあれに向けるな」

月は細く、星ばかりの夜でございました。

禾生は土手の草に腹ばいになり、右手に鈴を、左手に碗を持っておりました。碗の中の符水は、指の幅ほどしかございません15還す死者が一人なら、碗の水は二杯ぶんで足ります。倒すひと筋と、墓に注ぐひと注ぎ。指の幅ほどの水でも、この夜には十分でした。同じ場面 → 揃わない列。碗の底は、土から拳ひとつぶん浮かせてあります。肘がしびれても、下ろすことはできませんでした。

夜半を過ぎたころ、匂いがいたしました。

湿った土の匂いでございました。ひと月も雨を知らぬ夜に、雨上がりの畑のような、冷たく重い土の匂い16日照りの夜には、湿った土の匂いが屍より先に着きます。乾いた空気は、湿りのある匂いを遠くまで運ぶ。奥にかすかに甘く匂うのは、朽ちた絹と、烏紗帽の漆の匂いです。同じ場面 → 揃いすぎる列が、丘の方から風に乗って下りてきたのでございます。その奥に、古い蔵の奥で布が朽ちたような、甘い匂いがかすかに混じっておりました。

乾いた田の上を、何かが来ました。

足音はございませんでした。田の割れ目の上を、人の形をしたものが、膝の高さほど浮いて、まっすぐに滑ってまいります。青い袖が、風もないのに後ろへなびいておりました。進んでは止まり、止まってはまた進みます。その止まるたびに、あたりの土が、ほんのわずか、吸われるように沈むのでございました。

星明かりの田で禾生が腹ばいになり、右手の鈴と地面から浮かせた左手の碗を持つ。青い袍の屍が背を向けたまま浮き、鉄柱が閉じる糸の端を持って伏せる。
浮いて進む屍を待ちながら、碗を土から離して保つ禾生(想像図)

あれは池の方へ、まっすぐに来ました。そして、漏斗の広い口から、二筋の線の間へ入ったのでございます。

禾生は息を止め、土手の上で指を放しました。

ぱしり。

閉じる線が、池の側の口を横切って落ちました。糸の向こうで、鉄柱が息を呑む音がいたしました。

屍は止まりました。青い袖が、池の側を向いて、それから左右の線を向きました。線の手前まで滑り、そこでふっと止まります。熱いものに触れたように、身を引きました。線の継ぎ目の小札の一枚が、端から茶色く焦げてゆきました。

禾生は鈴を鳴らしました。

一つ。間を置いて、また一つ。

屍の、進んでは止まる揺れが、鈴の間に引かれて、少しずつ遅れてまいりました。禾生が鈴の間を延ばすと、あれの揺れも延びます。父に教わった通りでございます。拍を合わせてしまえば、拍を奪える17鈴の間を少しずつ延ばして屍の揺れを引き延ばす打ち方を、間延ばしと呼びます。まず屍の揺れに鈴を合わせ、合ったところから延ばす。合わせる前に延ばせば、屍は鈴を置き去りにします。同じ場面 → 反る札。禾生は鈴を振りながら、土手を下り、線の外を丘の方へ歩き出しました。屍は線の間を、禾生の鈴の方へ、ゆっくりと滑ってついてまいりました。

丘の上で、範道士が待っております。

漏斗の半ばまで来たときでございます。

線の内側の田の、刈り残した稲藁の山が、かすかに動きました。

禾生は鈴を振る手を止めずに、そちらを見ました。藁の下から、裸足の足の裏が二つ、こちらを向いてのぞいておりました。村の子の、阿栓(あせん)でございます。日暮れから藁の中に隠れていて、線を打つ騒ぎの間に、中へ閉じ込められてしまったのです。

屍が、鈴の拍を外れました。

青い袖が、稲藁の山を向きました。進んでは止まる揺れが消え、あれは一息に、藁の方へ滑りました。

「息を止めよ」と禾生は叫びました。「足を上げろ。水車へ登れ」

線の内には、壊れて使われなくなった足踏みの水車18滑る屍は、気で浮いても魄が地に引くので、膝から腰ほどの高さまでしか上がれません。水車の骨組みの三段目は、その少し上。陽気を吸って浮く高さが増すまでは、高い所が逃げ場になります。同じ場面 → 吊り橋の拍記録 → 屍の段階を読むが、骨組みだけ立っておりました。阿栓は藁を跳ねのけ、その骨組みに取りつきました。一段、二段と、踏み板をよじ登ります。屍は骨組みの下で止まりました。滑るものは、高くは上がれないのでございます。魄(はく)が地に引くからだ、と祖父は言っておりました。阿栓は三段目で息を止め、足を胸に抱き込みました。

屍は、見失ったように、骨組みの周りを一度めぐりました。

そこへ、池の方から、足音が駆けてまいりました。鉄柱でございます。子供の叫びを聞いて、閉じた線をまたぎ、中へ飛び込んできたのでございます。

屍は鉄柱の方を向きました。

鉄柱は立ち止まり、息を止めました。けれども、走ってきた胸は、止めた息を長くは持ちません。三つ数えるほどで19走ってきた胸は、息を長く止められません。屍の前で息を止めるなら、その前に走ってはいけない。葬送師は村の子に、屍から逃げるなとは言わず、逃げるなら最後まで逃げろと教えます。記録 → 『聊齋志異』の「尸變」を読む、口から大きく息が漏れました。

次の刹那、あれは鉄柱の前におりました。

青い袖の中から出た手が、鉄柱の両の肩をつかみました。鉄柱は声も出せずに膝をつきました。その顔から、見る間に血の色が引いてゆきます。そして屍の体が、少しずつ、ほんの少しずつ、地から浮き上がってゆく20屍は人の陽気を吸うと、吸った気のぶんだけ浮きます。気で軽くなる力と、魄が地に引く力との釣り合いで高さが決まる。人の背丈を越えれば、墨の線も跨いで越えられます。記録 → 屍の段階を読むのでございました。膝の高さだったものが、腰の高さに、胸の高さに。

禾生は鈴を強く振りました。けれども、拍は返ってまいりません。吸った陽気で、あれの拍が変わってしまったのでございます。

丘の方から、範道士が駆け下りてまいりました。老いた足で、畦をいくつも越えて来ます。道士は線をまたいで屍の後ろへ駆け寄り、後ろから額へ押さえの札を貼りつけました。あれの体はびくりと止まりました。けれども一度、身を揺さぶると、札は枯れ葉のように剝がれて落ちたのでございます。

屍はもう、人の背丈ほどの高さに浮いておりました。その高さなら、墨の線を越えてしまいます。線の向こうには、犬をつないだ家々がございました。

範道士は、線の際で足を止めました。

道士は左の手で懐から朱の筆を出し、右の掌に、一字を書きました21湖北の北の流れは、江南や湘西と左右を逆に教え、右で陽の雷を握ります。どちらの流れも、陰の屍には陽の雷を撃つ。範道士が右の掌に字を書いたのは、北の流れで習った道士だからです。同じ場面 → 反る札記録 → 茅山の道士と雷の法を読む。雷の字でございます。湖北の北の流れでは、陽の雷は右の手で握るものでございました。筆を捨て、五本の指を掌の上に折り重ねて、固く握りました。唇が動きましたが、禾生の耳には何も聞こえませんでした。

祖父の拳が、わずかに震えているのを、禾生は見ました。一夜に一度きりの拳でございます。

道士は拳を突き出し、開きました。

光はございませんでした。ただ、夜の気が一筋、布を裂くように鳴りました。禾生の耳の奥で何かが弾け22掌の雷のすぐそばにいた者は、しばらく耳が遠くなります。聞こえが戻るのは早くて四半刻。雷を使う組の葬送師は、戻るまでのあいだ、鈴の拍を手首の重みで数えます。同じ場面 → 鶴の胸、しばらく、自分の鈴の音さえ聞こえなくなりました。

屍は落ちました。

人の背丈の高さから、濡れた土嚢(どのう)を落としたような重い音を立てて、田の割れ目の上に落ちたのでございます。鉄柱の肩をつかんでいた手が離れ、鉄柱は仰向けに倒れました。

範道士も、膝をつきました。右の腕をだらりと下げ、額を田の土につけるほどに、深く身を折っておりました。

「禾生」と、道士は土に向かって申しました。「まだ動く。弱っただけだ。鈴を」

屍は、田の上に立ち上がりました。もう浮いてはおりません。両の足を揃え、ぎこちなく一度、跳ねました。雷が、あれの育ちを一段、押し戻した23雷でも屍を滅ぼすことはできませんが、育ちを一段押し戻します。滑るものは跳ぶものに近く戻る。押し戻された段は、陽気を吸えばまた上がるので、雷のあとの一刻が封じどきです。同じ場面 → 揃いすぎる列記録 → 茅山の道士と雷の法を読むのでございます。けれども、あれの顔は、まっすぐに禾生の方を向いておりました。

禾生は鈴を鳴らしました。

一つ。屍が跳ねます。二つ。屍が跳ねます。今度は、拍が返ってまいりました。けれども返りは遅く、鈴の後から、重い足が引きずられるように地を打つのでございます。

禾生は線の内へ入りました。鈴を振りながら、一歩ずつ後ろへ下がります。屍は一拍遅れて、一つずつ跳ねてついてまいります。左の手の碗の水が、跳ねる屍の足音に合わせて、碗の中で小さく揺れておりました。

十歩ほど下がったとき、禾生の踵(かかと)が、田の割れ目に取られました。

体が後ろへ傾きました。左の手が、支えを探して下へ伸びました。碗の底が、乾いた土の、指一本ぶん上まで下りました24碗を持って転ぶときは、膝から先に地を打ち、碗の手は最後まで宙に残します。見習いが最初の年に教わる転び方で、膝の皿を割った葬送師は珍しくありません。同じ場面 → 吊り橋の拍。

禾生は膝で地を打ち、左の手だけを、宙に残しました。碗の水が縁まで寄り、ひと雫もこぼれずに、また底へ戻りました。膝の皿が割れるかと思うほど痛みましたが、禾生は鈴を止めませんでした。

禾生が割れた田に両膝をつき、右手の鈴を持ったまま左手の碗を土のすぐ上で支える。間近に青い袍の屍が立ち、後ろでは範道士が膝をついている。
両膝で地を打っても、碗の底を宙に残す禾生(想像図)

屍は一拍遅れて跳ね、禾生の目の前で止まりました。湿った土の匂いが、顔にかかりました。明の袍の胸の、ほつれた糸の一本一本まで見えるほどの近さでございました。

そのとき、禾生の背の後ろから、祖父の声がいたしました。

「そのまま鳴らしておれ」

範道士は、左の手に一枚の札を持っておりました。封の札でございます。道士はその手を禾生の肩に一度置き、それから、禾生の鈴が鳴るのに合わせて、屍が跳ね上がって落ちる、その拍の底で、札を屍の額に押し当てました25封の札(封じるための、額の札より大きな札)は、屍が跳ねて落ちる拍の底で押し当てます。足が地に着いた一瞬は体の揺れが止まり、札が額に沿う。跳ね上がる途中で当てれば、札は額の上を滑ります。同じ場面 → 匂いの関。

屍は、跳ねた形のまま、止まりました。

禾生は、もう一度鈴を鳴らしました。返りはございませんでした。

鉄柱は、東の空が白むまで起き上がれませんでしたが、息はしておりました。阿栓は水車の骨組みから下ろされ、母親に抱えられて家へ帰りました。村の衆が、保長の家の納屋にあった古い棺を担いでまいりました。封じた屍を棺に納めると、禾生は墨斗の糸を張り、棺の蓋の上に、四方に、底に、線を弾きました。底を打ち残せば、そこから破られます26棺に打つ墨の線は、蓋・四方・底の六面を途切れさせずに打ちます。底は棺を二人で傾けて打ち、乾くまで下ろさない。一面でも塗り残せば、そこがそのまま屍の出口になります。同じ場面 → 反る札。道士は線の端に札を留めました。

棺を担いだのは、鉄柱と、若い衆の三人でございました。鉄柱は肩の痣(あざ)の上に棺の棒を載せ、一度も下ろさずに27棺を担いだ者には重み代(担ぎ賃とは別に、棺を担いだ肩へ渡す銭)を渡すのが習いで、受け取らないのは死者の身内か、恩を受けた者の印です。鉄柱は自分が掘った墓へ、自分の肩で還しました。その五十文を、鉄柱たちは受け取りませんでした。同じ場面 → 鶴の胸、丘の墓まで上がりました。

口をあけたままの墓の穴に、棺が下ろされました。

禾生は穴の縁に膝をつき、碗を左の掌に載せました。今度は、この土でよいのでございます。禾生は碗を傾け、指の幅ほどの符水を、棺の上の土へ、細く注ぎました。

水は、乾いた土に落ちると、音もなく吸われてゆきました。

棺の中で、こん、と一度だけ28眠る前に一度だけ板を打つのは、魄が体を離す音です。棺を閉じたまま蓋の上の土へ注いだときの音で、蓋をずらして注げば鳴らず、匂いが土へ引く。二度鳴れば、注いだ土が違っていたということ。墓の縁で待つ者は、二度目が来ないのを確かめてから土を戻します。同じ場面 → 封の家、板を打つ音がいたしました。それきりでございました。

墓の土が戻され、削れた碑が起こされました。範道士は右の腕を布で吊り、左の手で墓の前に線香を立てました。名を知らぬ方でございます。道士は、ただ「お帰りなさいまし29名を知らない死者を墓へ還すとき、道士は名の代わりに挨拶だけをかけます。碑に名があっても、削れて読めなければ呼びません。読めない名を当て推量で呼ぶことは、どの道士もしません。同じ場面 → 鶴の胸・六枚目の札」とだけ申しました。

日照りは、それからも続きました。雨が来たのは、十日も後のことでございます。旱魃を打っても雨は降らぬ30雨を呼ぶのは雨乞いの仕事で、雷法にも雨を祈る法はあります。ただ範道士の謝礼に雨乞いは入っておらず、一夜に一度きりの雷は、雨でなく屍に使われました。記録 → 茅山の道士と雷の法を読む、と範道士は保長に申し、保長は黙ってうなずきました。

ただ、その朝から、溜め池の水は減らなくなりました。夜が明けても、底の石の上に、昨日と同じだけの水が残っておりました。

禾生は町へ帰る道すがら、何度も左の手を開いては、また閉じました。掌には、碗の縁の欠けたところの形が、赤く残っておりました。祖父の右の掌には、朱で書いた雷の字が、まだ薄く残っております。二人とも、それを洗おうとはいたしませんでした。

丘を下りきったところで、禾生は振り返りました。村の田はまだ、白く割れたままでございます。けれども池のほとりの草むらで、ひと月ぶりに、蛙が一つ鳴いておりました。

この話は、研究所の設定をもとにした創作で、史実ではありません(短編集について)。