研究所の創作 短編集
元宵(げんしょう)の儺(な)
清の道光のころ / 江西、景徳鎮から南の山へ向かう街道の村
同じ人 腰の草鞋(二十年前の窯町。譚は南の街道へ出ていて、見習いが前を歩く)・列ごっこ(二十年目の譚が、茶畑の村の子どもに鈴の呼び方を教える)この世界の基本 鈴と拍・息と足の裏・送る二人・碗の符水・死者と屍・水と匂い
本文の ◦ の印には、この世界の基本の短い説明が付いています。小さな番号は欄外解説で、その場面の決まりの細部や、ほかの話とのつながりを説明します。画面が狭いときは、印や番号を押すと開きます。この世界の基本
道光のころの正月十五日、元宵の晩1元宵は正月の最後の晩で、家々が灯籠を掲げて年の初めの祭りを締めます。送る一行は正月も歩きますが、正月のあいだ街道の宿代は常の倍。宿の亭主は、それを年玉と呼んでいます。のことでございます。
江西の景徳鎮から南の山あいへ向かう街道を、死者この世界では死んだ人には、心にあたる魂(こん)と、体に残る魄(はく)がある。魂が残るうちは「死者」で、鈴で呼べば応えて歩く。魂が抜けて魄だけになると「屍」で、人を襲う。基本 → 死者と屍の一行が四人、夜道を跳ねてまいりました。前を歩くのは、窯町の死者を送って三十年あまりになる葬送師この世界では死者を送るのは二人組。前を歩く葬送師は、鈴で死者を呼び、碗の符水で眠らせ、墨斗で屍を止める線を打つ。後ろを歩く道士は、札で死者を結び、屍を封じ、雷で弱らせる。基本 → 送る二人の譚(たん)で、右の手に鈴を、左の手に符水(ふすい)の碗2碗は左の掌に載せ、親指を縁に添えて持ちます。人混みでは両手で胸の前に抱える。この二つの持ち方しか無いので、人混みに入れば提灯は他人に頼むほかなく、鈴は碗を持ち直して鳴らします。同じ場面 → 碗の跡この世界では符水は、符を焼いた灰を井戸の水に溶いた水。生まれた土地の土に注ぐと術が解け、死者は倒れて眠る。碗を土に置くと符水が土へ通い、よその土では術が半端に解けるので、碗は土に置かない。基本 → 碗の符水この世界では葬送師が鈴を鳴らすと、魂の残る死者は呼びかけに応えて自分で跳ぶ。鈴と足音が刻むリズムが「拍」。足音で鈴に応えるのが「返り」で、返りが夜ごとに遅れてゆけば、魄が強まった印。基本 → 鈴と拍(わん)を持っております。後ろには道士の葉(よう)がつき、懐の札を気にしながら歩きます。死者の四人は、いずれも窯場(かまば)で働いて死んだ者3窯場の者は、御器廠(官の窯場)の内の祠に風火神を祀ります。万暦のころ、何度焼いても割れる大きな缸(かめ)を焼き上げるために、童賓という窯工がひとり窯の火に身を投げ、それで缸が焼き上がった、という神です。窯場で死んだ者を送り出す朝、組合の世話役は会館へ行く前に、この祠へ線香を一本上げていきます。で、窯の組合が同郷の会館に寄り合って銭を出し合い4窯場の組はたいてい一つの郷の者で固まり、組合の寄り合いは同郷の会館で開きます。窯町では、組合の銭と会館の銭が同じ箱に入っていることが多い。会館の世話役が送り出しに立ち会うのは、そのためです。同じ場面 → 腰の草鞋記録 → 旅の死者を故郷へ帰す、故郷の土へ帰すところでございました。四人とも洗いざらしの死装束で、背には名を書いた細い旗を差しております。
なかでも三番目の饒(じょう)という老人は、四十年、柴窯(さいよう)の焚き手の頭、把莊頭(はそうがしら)5把莊頭は、窯ごとに一人いる焚き手の頭で、自分も焚きながらほかの焚き手を仕切り、火を止める刻を決めます。見るのは炎そのものより、火眼(窯の覗き穴)から見える匣(器を入れて焼く土の箱)の色で、匣が銀紅色に澄んだときが止め時。一窯の出来は、この目一つで決まります。同じ場面 → 腰の草鞋として火の色を見てきた人で、会館の世話役は送り出しのときに、「この爺さんは暮れになると、故郷の儺の話ばかりしておった」と申しました。南の山の村では、正月に面をかぶった者たちが家々を回り6江西の南の儺は、面をかぶった舞い手が太鼓に合わせて家々の戸口を回り、疫を払います。面は樟の木を彫って彩り、村の廟や舞い手の家で代々しまう。面をかぶる番は、家ごとに長男から回ります。、太鼓に合わせて疫(えやみ)を払って歩きます。饒老人は三男で、面をかぶる番は兄たちに回り、十五の年に窯場へ出てからは、とうとう一度も帰らなかったのだそうでございます。
さて、峠を一つ下りたところに、その晩ちょうど儺を舞っている村がございました。谷じゅうに爆竹の音が弾け、太鼓がどん、どどん、と鳴り、提灯(ちょうちん)の灯が川面に揺れております。譚は村へ入らず7習わしの理由一行が村を避けるのは、人の多い所は生きた人の陽気が強く、鈴の拍が乱れるからです。祭りの晩はなおさらで、爆竹も犬も戸締まりも当てにならない。街道の村ごとに、通り抜ける裏道と、昼を過ごす廟が決まっています。この決まりの要 → 一本の線香、はずれの土地廟の軒を借りて、夜の明けぬうちに通り抜けるつもりでおりました。
ところが、太鼓の拍が、ちょうど譚の鈴と同じ速さ8儺の太鼓は地を伝う低い音で、足の着く底を知らせます。爆竹が鈴の高い拍(鈴と死者の足音が刻む間)を乱しても、太鼓の底の拍は、爆竹の上を渡って届く。嗩吶のように鈴の裏へ置く音と違い、鈴と同じ拍に重なった太鼓は、死者の足には鈴と区別がつきません。同じ場面 → 半拍の鼓・畦の一本道だったのでございます。
鈴がちりんと鳴るたびに、四人はそれに応えて跳ねます。饒老人の揺らぎは、その晩にかぎって、太鼓のほうへ少しずつ寄ってまいりました。一つ跳ねるごとに、半歩、村の灯のほうへ。譚が気づいて鈴を強く振ったときには、もう遅うございました。谷の太鼓がどどん、と大きく鳴り、饒老人はその拍に乗って、ひょい、ひょい、と爆竹の煙の中へ跳ねていってしまったのでございます。

葉は真っ青になりました。 「夜明けまでに次の義荘(ぎそう)に入らねばならんのだぞ」
残る三人も、提灯の灯のほうへ首を向けて、そわそわしております。葉は三人を土地廟の壁際に立たせ、額の札を一枚ずつ指で押さえて回りました9道士が額の札を指で押さえるのは、結びを一時締めて、死者を立ったまま留めるためです。押さえの札(結ばずに額の札の上へ貼るだけの札)を重ねれば確かですが、魂の残る死者には揺らぎと一緒に鈴への応えまで潰してしまう。指なら、離せば戻ります。同じ場面 → 半拍の鼓・揃いすぎる列。碗は、譚が持って行くよりほかにございません。
「あんたは三人を見ていてくれ。わたしが探す」
そう言って譚は、なみなみと符水を張った碗を両手で胸の前に抱え、祭りの人混みへ入ってゆきました。この水をこぼせば10四人の列なら、譚の碗は五杯ぶん。こぼしてよいのは手当ての一杯ぶんまでで、それを越えれば、着いた先で解く水が足りません。同じ場面 → 揃わない列・二つに分かれた死者、つながった四人がどうなるか分かりません。譚は碗の縁から目を離さず、すり足で、まるで油を張った皿を運ぶ小僧11祭りの人混みを抜ける稽古は、見習いの稽古にはありません。元宵の晩の譚の歩き方は、師匠にも見せたことのない歩き方でした。同じ場面 → 反る札のように歩きました。
村の真ん中では、蒸籠(せいろ)から饅頭(まんじゅう)の湯気12元宵の晩の屋台は、蒸籠の饅頭と、甘酒に白玉を落とした椀です。甘酒の湯気は酸っぱく甘く、爆竹の硫黄と混じると、南の村の正月の匂いになる。人混みの中では、その匂いが肩の高さに溜まります。が白く立ちのぼり、甘酒の匂いと、爆竹の火薬の匂いとが混じっております。子どもが譚の肘にぶつかり、碗の水が縁までせり上がりました。譚は息を止めこの世界では屍は、生きた人の陽気(体の温み・気配)で人を見つける。陽気がいちばん多く出るのは息、次が足の裏。息を止めて足の裏を屍に向けなければ、屍にはそこにいる人が見えない。基本 → 息と足の裏、水が静まるのを待ちました。そのあいだに、人混みの向こうで太鼓がまた鳴りました。
譚は村の長老を探しあて、耳もとで事の次第を打ち明けました。長老は曾(そう)という、儺の太鼓を五十年打ってきた13儺の太鼓は牛の皮を張った大きな胴で、打ち手が一人で儺の拍を握ります。面の下の舞い手は前がよく見えず、太鼓の拍で跳ぶ。村の者の体には、子どもの年からこの拍が入っています。老人でございます。話を聞くと、曾老人はしばらく黙って碗の水面を見ておりましたが、やがて、 「そりゃあ、太鼓を聞いて血が騒がぬ南の者はおらん」 と言って、笑いました。
長老が村の者に告げたのは、こういうことでございました。旅の年寄りが一人はぐれた。耳が遠く、口もきけぬ14見られても、人混みに紛れるくらいでは死者の列は崩れません。死者と告げれば村は戸を閉めて祭りが終わり、耳の遠い年寄りと言えば祭りを続けたまま探してくれる。曾老人の言い換えは、村にも一行にも得でした。同じ場面 → 三十里・行き違い。白い衣で、額に黄色い紙を一枚下げている。見つけたら大声を出さず、そっと教えよ。
村の者は、それなら儺の回るついでに、村じゅうの路地という路地を照らして歩けばよいと言い出しました。儺の一行はどのみち、一軒ずつ戸口を回って疫を払うのでございます。ふだんなら大通りの家だけで済ませるところを、その晩は、裏の路地も、豚小屋の脇も、川べりの洗い場15外れた者を探すとき、葬送師が最初に見に行くのは水際です。死者は水を越えられないので、はぐれた死者は水の前で足を止める。祭りの晩の村なら、洗い場と井戸端がそれです。同じ場面 → 一本の線香・碗の跡も、残らず回ることになりました。提灯を持つ者が倍になり、子どもたちは「白い衣のお爺さん」と唄うように言いながら先に立ち、女たちは戸口ごとに爆竹を鳴らして一行を迎えました。太鼓打ちの若い者は、年寄りに聞こえるようにと、いつもより強く打ちました。いつもの年なら夜半に終わる儺が、その年は夜更けまで村を巡り、村の者はあとあとまで、あんなににぎやかな元宵はなかったと申したそうでございます。
譚はそのあいだじゅう、碗を胸に抱えたまま一行のあとを追いました。碗を持つ手がふさがっておりますので、提灯は、桂児(けいじ)という七つばかりの娘が持ってくれました。桂児は譚の碗を不思議そうに覗きこみ、 「おじさんは、お水を運ぶ神さまの役?」 と尋ねました。譚は「そんなところだ」と答え、水面から目を上げませんでした。
「さっきね、面のないお爺さんがいたから、わたしの面を貸してあげた16儺の子どもの面は、紙を貼り重ねて彩った軽いもので、木の面は大人の舞い手のものです。紙の面は小さく、死者の額に括っても札を隠しきらない。面の縁から札の端がのぞいていれば、結びは効いたままです。の。面がないと、儺に入れてもらえないでしょう」
譚はうなずきましたが、碗の水が揺れておりましたので、その話はよく聞いておりませんでした。
そのころ土地廟の軒下では、葉が三人の前に立ちふさがっておりました。路地を照らしに来た村の者が、壁際に並んだ白い衣の三人を見つけて、「これか」「いや、三人もおるぞ」と騒ぎ出したのでございます。葉は両手を広げ、「連れの者だ、立ったまま寝ておる、起こさんでくれ」と、汗をかいて言い張りました。村の者は、旅の年寄りとはたいしたものだと感心し、起こさぬよう足音を忍ばせて去りました。しばらくすると、豆腐屋の女房が湯気の立つ甘酒の椀を三つ盆に載せて持ってまいりました。葉は受け取らぬわけにもゆかず、三人の分を一つずつ、自分で飲みました17死者に供えられた食べ物は、道士が代わりにいただくのが一行の作法で、断れば供えた家の心が行き場を失います。三椀は、作法の内では多すぎず、腹の内では多すぎる量です。。女房はそれから、廟の香炉に線香を三本立てて、「くたびれた年寄りにはこれがいちばん」と拝んでいきました。細い煙がのぼって三人の方へ折れると、壁際の三人は、ほんのわずか、そちらへ顔を寄せた18祭りの晩も、死者の前に立てるのは細い一本です。香の煙は魂の残る死者の方へ折れて、その糧になる。軒下の風の無い所では、煙は細く撚れたまま軒の高さまで上る。その一筋が折れて届けば、顔を寄せたくなるのも無理はありません。基本 → 香ようでございました。葉は、甘酒で温まった腹をさすりながら、それを見ないふりをいたしました。
村を一回りし、二回りしても、白い衣の年寄りは見つかりません。譚は戸口ごとに碗を持ち直して鈴を鳴らしましたが、太鼓と爆竹に紛れて、自分の耳にさえ届きません。鼻を利かせても、匂ってくるのは硫黄と甘酒と19爆竹の硫黄は鼻を鈍らせますが、慣れた葬送師の鼻は、その中でも熟れすぎた果物のような甘い匂いを嗅ぎ分けます。硫黄と甘酒と線香ばかりの晩は、まだ悪い知らせが無いということです。同じ場面 → 匂いの関記録 → 趕屍の記録を読む、廟から流れてくる線香の煙ばかりでございます。そのことだけが、譚にはわずかな救いでございました。腐りこの世界では死者は自分の足では水を越えられない。川は舟に青い札を留めて渡り、海は棺に納めて船で運ぶ。術のあいだは体の腐りが止まり、術が解けると、止まっていた日数ぶんの匂いが一度に出る。基本 → 水と匂いの匂いがせぬうちは、どこかで饒老人は、まだ鈴の拍の内にいる。
四更(しこう)の太鼓が鳴るころ、儺の一行は村の廟へ帰ってまいりました。先頭には、赤い面に角を生やした開山(かいざん)の神20開山は儺の先頭を舞う神で、赤い面に角を生やし、斧を振って道を開きます。舞い手の中でいちばん重い面で、かぶる者は儺の前の晩から肉を断つ。列の尻尾は、面の番の回らない子どもの場所です。が、大きな斧を振って跳ねております。その後ろに、黒い面、金の面、笑う面が続きます。見物の者も、面をかぶった子どもたちも、列について跳ねております。
そして列のいちばん尻尾に、小さな子ども用の面を顔に括(くく)りつけた、白い衣の年寄りが一人おりました。
膝を曲げず、両足を揃えたまま、太鼓の一打ちごとに、ひょい、と跳ねます。前の子どもたちが跳ね損ねても、その年寄りだけは一拍も外しません。爆竹がどれほど弾けても、地を伝ってくる太鼓の低い拍は、砕けずに足の裏へ届くのでございます。頬に紅を丸く二つ置いただけの面で、その縁から、額の紙の端がのぞいておりました。

「あっ、わたしの面」 と桂児が言いました。
譚は、提灯の灯の中で、しばらくその跳ね方を見ておりました。鈴に応えるときと同じ、わずかな揺らぎがございます。けれどもその揺らぎは、いつもよりいくらか大きく、まるで、年寄りが口の中で節をつけて唄っている21揺らぎは、死者が生前なじんだ拍に乗ると大きくなります。鈴に応えるときより大きいのは、魂が薄れたからでなく、鈴より深くなじんだ拍に乗っているから。匂いが戻らなければ、案じることはありません。同じ場面 → 半拍の鼓・腰の草鞋ように見えたのでございます。
曾老人がそばへ来て、譚の袖を引きました。 「廟の門まで、あと三十歩だ。舞わせてやってはくれまいか」
譚は碗を持ち直しました。そうして、太鼓の打ち手の拍を耳で数え、それにそっと重ねるように、鈴をちりんと鳴らしました。太鼓がどん、と鳴り、鈴がちりんと鳴ります。尻尾の年寄りは、どちらにも同じように跳ねました。譚はそのまま列の脇を歩き、廟の門まで三十歩、鈴を鳴らしつづけました。桂児は面の年寄りの横を、提灯を掲げて一緒に跳ねました。
一行が廟の庭へ入り、開山の神が最後の足を踏み鳴らすと、太鼓が止みました。舞い手たちが面を外しはじめます。その前に譚は、鈴を一つだけ、短く低く鳴らしました22祭りの太鼓が鳴るあいだは、鈴の音の尾が太鼓に消されます。譚が呼び戻しの一打を太鼓の止む一瞬まで待ったのはそのためで、静けさの中の一打なら、面をかぶった耳にも届きます。。尻尾の年寄りは向きを変え、面をかぶったまま、ひょい、ひょい、と譚のほうへ跳ねてまいりました。見物の者たちは、南の生まれの年寄りの客が、面も外さずに帰ってゆくのを見送りました。耳の遠い人だから、太鼓が止んだのに気づかぬのだろう、と誰かが言い、誰かが笑いました。曾老人は門の脇で、黙って頭を下げておりました23習わしの理由長老が門の脇で頭を下げたのは、旅の客を見送る礼ではなく、村の儺に入った死者への礼です。儺は疫を払う舞で、面をかぶれば生きた者も死んだ者も同じ舞い手。舞い終えて村を出てゆく者には、村の長が頭を下げて送る。曾老人だけがそれを知っていて、村の者には言いませんでした。。
土地廟に戻ると、葉は三人の前に張りついていた足を、ようやく一歩退きました。饒老人の衣には、廟の線香の煙がたっぷりと染みついております24儺の一行が帰った村の廟には、元宵の晩じゅう香が焚かれています。列の尻尾で跳ねていた饒老人の方へ、その煙は折れて届いた。一行の一人一夜三本に比べれば、廟の一晩の香は何十本ぶんです。。一晩の祭りのあいだに、ずいぶんご馳走になったのでございましょう。
「面はどうする」と葉が申しました。
桂児は、譚の提灯を返しながら、 「あげる。お爺さん、上手だったもの」 と言いました。
曾老人は、廟の香を一束包んで25線香の一束は五十本で二百文。四人の一行なら一夜十二本で、四夜あまりの香になります。峠下の村から南の山までの残り二晩には、十分な量でした。基本 → 香同じ場面 → 一本の線香持たせてくれました。明日の晩からの道中の分だ、と申します。それから譚と葉にも、冷めかけた饅頭を二つずつ持たせました。葉は礼を言うのも忘れて、一つを二口で食べてしまいました。
一行が村を発ったのは、東の山の端がうっすらと白むすこし前でございます。鈴がちりんと鳴り、四人の死者が揃って跳ねました。三番目の饒老人は、小さな面を旗の竿に結わえられて、その面が一足ごとに、かさ、かさ26子どもの紙の面は軽く、竿に当たっても「かさ」と紙の擦れる音しか立てません。鈴の音より低く小さいので、拍には障らない。死者の旗の竿に物を結わえるのは、たいてい故郷の家へ届ける品です。、と竿に当たっております。
義荘の戸をくぐるとき、葉がぽつりと申しました。 「あの爺さん、行きより跳ねるのがうまくなっておらんか」
譚は碗の水面を見ました。一晩じゅう人混みを運んだのに、水はまだ縁の下に、きちんと残っておりました。
二晩ののち、一行は南の山の村へ着きました。家の者が、棺を整えて待っておりました。旗の竿に結わえた子どもの面を見て、年取った兄嫁が、どこの村の面だろうと首をかしげました。譚は、元宵の晩のことを、そのまま話しました。兄嫁は面を手に取って笑い、「あの人は、やっと儺に入れてもらえたのですね」と申しました。
その年から、あの峠下の村では、儺の列のいちばん尻尾に、面を一つ余計に持った子どもが付いて歩くようになったそうでございます。はぐれた旅の人が、いつ入ってきてもよいように、と。最初にそれを持って歩いたのは、桂児でございました。
この話は、研究所の設定をもとにした創作で、史実ではありません(短編集について)。