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研究所の創作 短編集

杖の間

清の末 / 四川の塩の山道

つながる話 緡の長さ(義荘で待つ死者と、封じて運ぶ棺)・三十里(生前なじんだ仕事の拍に、死者の足が合う)この世界の基本 額の札・育つ・碗の符水・義荘と土地の神・鈴と拍・死者と屍

本文の ◦ の印には、この世界の基本の短い説明が付いています。小さな番号は欄外解説で、その場面の決まりの細部や、ほかの話とのつながりを説明します。画面が狭いときは、印や番号を押すと開きます。この世界の基本

光緒のころ、四川の東の山には、塩を背負って峠を越える道がございました。背夫(せおいふ)と呼ばれる男たちは、背の荷を下ろさずに休むため、丁の字の形をした杖1背夫の杖は丁の字の形で、打杵(だしょ)とも呼びます。背の荷は塩で百五十斤から二百斤。杖の先は鉄で包むので、石段を打つたびに、乾いた高い音が谷に返ります。を持って歩きます。息が上がると杖を尻の下へ突き、荷の重みをそれに預けて、立ったまま一息つくのでございます。そのために、道の石段には杖の先の当たるところだけ、拳ほどの窪みが幾つも並んで2石段の窪みは、杖の先が百年あまりかけて穿ったものです。背夫は前の者の窪みに杖を突くので、休む段は誰でも同じになる。山道の茶店は、たいていその段の脇に建っています。おりました。

その道の途中の小さな町に、義荘この世界では義荘は、旅の死者を預かる町はずれの小屋。土地の神(土地公)は、死んだ人の魂を三日のあいだその土地に留めて預かり、故郷へ帰れなかった者たちも預かる。基本 → 義荘と土地の神(ぎそう)が一軒ございました。戸の後ろには、三年前の冬から、一人の背夫が立っております。湘西の酉水(ゆうすい)のほとりから塩を背負いに来て、この町の宿で熱に倒れた田(でん)という男で、阿根(あこん)の父でございました。

阿根は十の年に一度だけ、父の後ろについて最初の峠まで登ったことがございます。父は口数の少ない人で、登るあいだ一言も申しませんでした。ただ、石段を二つ踏むと、三つ目の前に杖を突いて、ふっと一息だけ荷を預けます。また二つ踏んで、杖を突く。阿根はその後ろを歩きながら、父の足音と杖の音とを、胸の内で数えておりました。峠で父は、帰れ、と手で示しただけでございました。

塩の荷を背負った田が、石段で丁の字の杖を尻の下に突いて荷を預ける。十歳の阿根が後ろを登り、石には杖先の窪みが並ぶ。
父の足音と杖の間を数えながら、初めての峠を登る阿根(想像図)

知らせが村に届いたとき、阿根は十四でございました。村の者は銭を寄せましたが、峠を越えて故郷まで死者この世界では死んだ人には、心にあたる魂(こん)と、体に残る魄(はく)がある。魂が残るうちは「死者」で、鈴で呼べば応えて歩く。魂が抜けて魄だけになると「屍」で、人を襲う。基本 → 死者と屍を歩かせる代には、とても足りません。そこで、この道を行き来する葬送師の滕(とう)が、ひとまず術だけをかけて義荘に預ける3術だけをかけて預ける代は、一夜の手当てと札一枚と符水。預けたあとは一体一日十文の預かり賃がかかり、一年で三貫六百文あまりになります。同じ場面 → 草鞋の数・三十里ことになりました。同じ郷へ帰る死者が揃い4送る旅は、行き先の同じ死者を揃えて連れて行くほど、一人の代が下がります。二人の謝礼を死者の数で分けるからです。香と草鞋と宿の死者の代は、人数で割りません。同じ場面 → 六枚目の札記録 → 旅の死者を故郷へ帰す、銭が揃えば、その列に加えて連れ帰る、という約束でございます。阿根は滕の弟子にしてもらい5阿根の飯は滕の椀から分けてもらうので、手間賃はまるごと手もとに残ります。それを、義荘の父の預かり賃と、いつか出る送り賃とに分けて積みました。同じ場面 → 草鞋の数、手間賃のほとんどを送り賃に積むことにいたしました。

術をかけた夜のことを、阿根はよく覚えております。道士が父の額に札を結び、滕が鈴この世界では葬送師が鈴を鳴らすと、魂の残る死者は呼びかけに応えて自分で跳ぶ。鈴と足音が刻むリズムが「拍」。足音で鈴に応えるのが「返り」で、返りが夜ごとに遅れてゆけば、魄が強まった印。基本 → 鈴と拍を鳴らしました。阿根は、死者の両足を揃えて結ぶ役を与えられました6習わしの理由足を結ぶのは、葬送師でも道士でもなく、家の者の役です。結んだ手が、着いた先で解く手だからです。滕が十四の阿根にその役を与えたのは、弟子としてでなく、息子としてです。この決まりの要 → 揃わない列同じ場面 → 三十里。麻の紐を取ったとき、手が勝手に動いて、父に習った結びになりました。塩の包みを背板に括(くく)る結び7足の結びは、結び目を踝の外側に作れば、結び方は問いません。本結びでも引き解けでも術の効きは変わらないので、葬送師は結ぶ者の手に任せます。同じ場面 → 匂いの関・吊り橋の拍で、崖の道で荷ごと落ちそうになったら、端を一つ引けば一度で解けるのでございます。滕はそれを見て、何も言いませんでした。

それから滕が鈴を三つ鳴らすと、父は揃えた足で三つ跳ねました。ただ、二つ目と三つ目のあいだに、ほんのわずかな間がございました。杖を突いて荷を預ける、あの一息の間8背夫が杖を突くのは、石段二つか三つに一度で、荷の重い日ほど間が詰まります。背夫の子は、父の荷の重さを、その間で覚えています。同じ場面 → 半拍の鼓・三十里でございます。阿根は鈴の音よりも、その間のほうを長く聞いておりました。

札の効きはこの世界では額の札は、薄れてゆく魂を体に結びとめ、死者が鈴に応えられるようにする紙の札。道士が黄色い竹紙に朱で書き、宛て先にその死者の名(知らなければ郷)を書く。効きは一年。基本 → 額の札、立春から数えて一年でございます。一年目の立春、阿根は積んだ銭の中から札の代を出し、道士に書き改めてもらいました9額の札の書き改めは一枚百文で、立春に替えます。新しい札の麻紐を先に結んでから、古い札の紐を解いて下から抜くので、死者の額に札の無い時はありません。同じ場面 → 鶴の胸・封の家。二年目の立春には、布の袋の銭を数えて、もう一年あれば送れると思いました。札を替えれば、それがまた一年遠くなります10切れた札の死者は、すぐに動き出しはしません。札は薄れてゆく魂の代わりに死者と鈴を結ぶ紙で、切れれば結びが緩み、魂は薄れやすくなる。魂を速く薄れさせるのは、揺さぶり、香の絶え、札の切れ、生前の性分の順です。二年目の冬に香が朝の一本になり、札が切れたままだったのは、その二つが重なったということです。基本 → 額の札。阿根は袋の口を締めて、峠を越える列の後ろを歩きました。その冬には義荘の預かり賃も滞り、番の韋(い)老人は、朝夕に一本ずつ焚いていた香を11香は一本四文。義荘で一人に朝夕二本なら八文、五人で四十文、ひと冬の九十日で三貫六百文になります。預かり賃の途絶えた死者の香は、帳面の上では義荘の持ち出しです。同じ場面 → 草鞋の数、朝の一本だけにしておりました。老人はそれを隠さず、夕の一本の分は自分の銭で買った月もあったと申しました。義荘には、ほかにも預かり賃の途絶えた死者が四人おりました。一人に朝夕二本ずつ焚けば、老人の冬の米が無くなるのでございます。

三年目の冬、滕の一行は、酉水の方へ帰る三人の死者を連れて、その義荘に泊まりました。三人は同郷の会館が銭を出した死者で、夜ごとの香も草鞋(わらじ)も、帳面に書いたとおり揃っております12会館の出す旅は、香と草鞋と宿の数を帳面に先に書き、葬送師はそのとおりに焚き、履かせます。書いた数を欠けば、帰った葬送師が会館に呼ばれる。預けたまま帳面の無い死者と同じ土間に並ぶと、その揃い方が目に立ちます。同じ場面 → 草鞋の数。宿の土間に三人を立てると、滕は阿根に、父のところへ行けと申しました。

戸の後ろは暗く、燈(ともしび)を近づけると、父の顔は三年前のままでございました。術のかかった死者は、止まった時の中におります。けれども一歩寄ったとき、阿根の鼻に、香の煙の下から、煮すぎた豆のような13戻り(術で止まっていた腐りが、術が緩んで戻り始めること)の匂いは、日を追って変わります。戻り始めは熟れすぎた果物のように甘く、月を重ねると、煮すぎた豆や湿った筵のような重くこもった匂いになる。甘さの残るうちは、まだ浅い戻りです。同じ場面 → 一筆・三十里、雨の後の筵(むしろ)のような匂いが届きました。滕の一行が連れてきた三人からは、符水(ふすい)と墨と香と、濡れた藁の匂いしかいたしません。

列を導く鈴はまだ許されておりませんが、自分の死者の返りを聞く一打だけは、見習いにも許されております。阿根は腰の鈴を一つ鳴らしました。父は跳ねました。けれどそれは、鈴が鳴り終わってから、ひと拍遅れて床を打ったのでございます。二つ、三つと鳴らしてみますと、父の足音は一つ一つ正しく、少しの乱れもなく、どれも同じだけ遅れておりました14返りの遅れを測るのに、見習いは自分の脈を使います。鈴が鳴り終わってから足が着くまでに、脈がいくつ打つか。脈一つなら香を足し、二つを越えれば師を呼ぶのが、見習いの決まりです。同じ場面 → 揃いすぎる列・半拍の鼓。二つ目と三つ目のあいだの、あの間はございませんでした。

燈を下げると、足首の紐が目に入りました。麻は肉に食い込み、結び目は固く締まって、指の入る隙もございません。硬かった足首が、内側から紐を押している15魄が体になじむと、硬さが内側からほどけて足首が太ります。結びの紐が切れれば、跳ぶ段から走る段へ移る。紐に指が入らないのは、その手前の印です。同じ場面 → 封の家記録 → 屍の段階を読むのでございます。紐が切れれば、父は跳ねずに走るでしょう。

義荘の戸の後ろで、十七歳の阿根が燈を低く下げ、立つ父の両足首を縛る固い麻紐を見つめる。腰には小さな鈴があり、後ろで滕が見ている。
燈を下げて、父の足首に締まった紐を見る阿根(想像図)

滕は後ろから、しばらく同じものを見ておりました。

「もう歩かせては帰れぬ」

阿根はうなずきました。自分でも、鈴を鳴らす前から分かっていたのでございます。

育ったこの世界では生まれた土地の土に葬られなかった死者は、年とともに魂が抜け、体に残る魄が強くなって「育つ」。跳ぶだけの体が走り、低く滑り、やがて宙に浮くまでになる。生まれた土でなければ眠らない。基本 → 育つ屍(しかばね)は、弱らせて封じ、棺に納めて運ぶしかございません。滕の碗(わん)には三人の死者がつながってこの世界では符水は、符を焼いた灰を井戸の水に溶いた水。生まれた土地の土に注ぐと術が解け、死者は倒れて眠る。碗を土に置くと符水が土へ通い、よその土では術が半端に解けるので、碗は土に置かない。基本 → 碗の符水おりました。その符水を列の外の者に注げば、三人の拍が乱れて、会館が銭を払った旅が途中で止まるかもしれません。滕はそれを説明しかけて、やめました。阿根は包みの底から、弟子になった年に滕に譲られた、縁の欠けていない小さな碗16師の碗は列の死者につながっているので、列の外の死者には、弟子が自分の碗を使います。阿根の小さな碗は、弟子になった年に滕から譲られたもので、この夜、はじめて死者のための水を満たしました。同じ場面 → 封の家・揃わない列を出しました。まだ一度も、死者のために水を満たしたことのない碗でございました。

同行の道士は蒲(ほ)という中年の男で、封の札を書くと申しました。その代を聞くと、阿根は布の袋をそのまま渡しました。蒲は中を数え、札の代だけを取って、残りを返しました17習わしの理由道士が札の代だけを取り、封じる手間の代を取らなかったのは、情けというより、組の内の決まりです。葬送師の弟子の家の者は組の身内として扱い、道士は紙と朱の代だけを取る。滕が鈴と墨を出すのも同じで、この夜の代は、阿根の帳面には載りません。。残ったのは、古い棺を一つ借りる代と、酉水を下る舟の賃に、いくらか足りない銭でございます。蒲は自分の掌を一度見て、雷なら一度で弱らせられる18雷の代は一度で一貫、封の札の代とは別です。道士が掌を見たのは、雷の字を書く手だからで、撃てば道士の身も削られ、掌の字は洗っても数日残る。阿根の袋に残ったのは、棺の借り賃と舟賃にいくらか足りない銭でした。この決まりの要 → 一度きりの雷記録 → 茅山の道士と雷の法を読む、と低く申しました。その代を払う銭は、袋のどこにもございませんでした。阿根は首を振り、鈴と碗でいたします、と答えました。封じた棺なら、舟の荷として川を下れます。歩く死者は舟に乗せられませんが、父はもう、歩く死者ではございませんでした。

夜半、韋老人が裏の土間の戸を開けました。そこは板も敷いていない、この町の土でございます19習わしの理由義荘の表の土間には板が敷いてあります。板の上に立つ死者は土に触れず、眠りも育ちもせずに「待つ」ままでいる。符水を注ぐ足もとは土でなければならず、裏の土間の戸を開けたのはそのためです。板を敷かない裏の土間は、義荘にはたいてい一つあります。基本 → 碗の符水同じ場面 → 撿骨の日。阿根は自分で符水を作り20阿根の作った符水は、焼けた紙と朱の苦い匂いがして、指に取ると井戸水よりなお冷たい。乾いたあとも、爪の際に薄く灰色が残ります。同じ場面 → 匂いの関記録 → 趕屍の記録を読む、碗に満たしました。滕は墨斗(すみつぼ)を持って土間の端に立ち、蒲は札を膝に置いて待ちました。阿根は鈴を鳴らして、父を戸の後ろから土間の真ん中まで導きました。ひと拍遅れた足音が、七つ、土の上に続きました。

旅先の土に符水を注ぐと、魂の残る死者は倒れずに、重く沈むのだと教えられております。足が地に据わり、動かなくなるのでございます。魂の抜けた屍は、倒れても眠りません。阿根はそれを知っていて、碗を傾ける前に、父の足もとを長く見ておりました。滕も蒲も、急(せ)かしはいたしませんでした。土間の隅で、香が一本、細く燃えておりました。

水は細く、黒い土に吸われてゆきました。

父は倒れました。沈みはいたしませんでした。膝も曲げず、一本の材木のように横へ傾いて、土の上に長く伸びたのでございます。倒れたまま、右の手の指が、土の表を探るように動いておりました。

阿根と韋老人とで、父の体を借りた棺に納めました。持ち上げたとき、父は思っていたよりも軽うございました。韋老人が奥から、埃をかぶった丁の字の杖を持って参りました。三年前、父の倒れた宿の者が届けておいたものでございます。握りのところだけが黒く光っておりました。阿根はそれを父の右の手のそばに寝かせました。指はそれでも動いておりましたが、阿根は杖を取りのけはいたしませんでした。蓋を閉じると、阿根は滕から墨斗を受け取り、棺の蓋と四方へ、それから滕と韋老人に棺を傾けてもらって底へも、途切れさせずに自分で線を打ちました21封じる棺には、蓋と四方と底の六面を途切れさせずに打ち、底は棺を傾けて打ちます。糸は指一本ぶん持ち上げて放す。弟子が一人で打つ最初の線では、師は糸の端を持たず、見ているだけです。同じ場面 → 吊り橋の拍。一人で打つのは、それが初めてでございます。蒲が蓋の頭の側と四隅に封の札を留めると、棺の中の、板を掻くような小さな音が止みました。甘い匂いだけが、しばらく土間に残っておりました。

舟の賃の足りない分は、滕が次の旅の手間賃から前に貸すと申しました。阿根はそれを帳面に書き、自分の名を添えました22葬送師どうしの貸し借りは、借りた者が帳面に書いて名を添えます。返すまで線を引かず、返した日に朱で一本。貸した側の帳面には、何も書かないのが習いです。同じ場面 → 揃わない列。二枚前の頁には、二年目の春の行が、自分の字で残っております。札の代、今年は出さず、送り賃に積む。その下に書き足すことは、何もございませんでした。阿根は帳面を閉じ、翌る晩には、滕の列の後ろについて三人の死者と峠を越えました。

年が明けて、雪の解けたころ、阿根は一人で峠を戻って参りました。封じた棺は背夫たちに担がれて峠を下り、酉水の舟着き場から荷舟に積まれました。阿根は舟べりに座り、夜ごと、蓋に耳を寄せて小さく鈴を鳴らしました。中からは、板を一つ打つ音が返ります。返りは、日ごとに少しずつ遅れてゆきましたが、舟は川の流れのほうが速うございました23川を下る荷舟は、流れに乗れば一日に百里あまり進みます。夜に歩く死者の二晩ぶんを、舟は一日で行く。封じた棺を舟で運ぶのは、代のほかに、この速さのためでもあります。同じ場面 → 反る札。舟頭は棺を積むのを嫌って、生きた客の倍の賃24封じた棺を積む川舟の賃は、生きた客の倍です。海の船なら三倍。倍の賃は棺を嫌う舟頭の手間代で、荷の目方では決まりません。同じ場面 → 反る札・一本の線香を取りましたが、鈴の鳴る夜には艫(とも)のほうへ下がって、煙草も吸わずに黙っておりました。

村では、母が棺を用意して待っておりました。家の裏の畑の端に穴を掘り、阿根は封を解く前に、故郷の土の上で碗に符水を満たしました。札を剥がし、蓋を開けると、止まっていた三年ぶんの匂いが一度に立ちました25旅先の土で倒れた屍は、術の中で止まっていた時を返しきらずに封じられます。故郷の土で眠るとき、その年月ぶんの匂いが、封の内にこもった匂いに重なって一度に来ます。同じ場面 → 匂いの関・三十里。母は顔をそむけず、棺の縁に手を置いておりました。阿根が棺の足の側の土へ水を注ぐと、父の指は、もう動きませんでした。

母の用意した棺に移すとき、阿根は父の足首の紐に手を掛けました。納棺のときには解くのが習わしでございます。麻は肉に食い込み、三年前に自分が結んだ形のまま、固く締まっておりました。阿根は結び目を探って、端の一本を指でつまみました。

引きますと、結びは一度で解けたのでございます。

この話は、研究所の設定をもとにした創作で、史実ではありません(短編集について)。